バリ島在住時代には、コンテンポラリーという作品のことを、見たことも聞いたこともありませんでした。絵画といえば、セザンヌとかピカソだと思い込んでいたし、日本画といえば、北斎と竹久夢二ぐらいしか知らなかったのです。それでも、別に、困ったりもしませんでした。知らないということは恐ろしいことですね。無知というのは、後になって思うと恥ずかしいことですが、恥ずかしさにすら気づけないのですから成長のしようもありません。 |
バリ島、芸術の村滞在時には、1週間に4回もクロッキー会があり、3年半、私はクロッキーに通い、沢山の裸婦を描きました。筆運びの鍛錬のため、俳句の書写をしたり、俳画を作ったりもしました。目の前の異国でのできごとをイラスト付きエッセイにまとめたりもしていました。口では画家を目指すなどといいながら、画家とは何ぞやということは、まだ解っていない時代でした。バリ島を引き払い、日本に帰国し、私は、絵をほとんど見たことが無かったのだということを思い知ります。それはもう、熱にうかされたように、私は、膨大な数の展覧会を見て歩きました。画壇、イラストの展示、盆栽、書道、華道、彫刻、美術館、記念館、郷土博物館、デパート、画廊など、ありとあらゆる展示を見にゆき、日本のアートマーケットの研究を少しずつ進めてゆきました。展示とはなにか、絵画とは何か、収益とアートとの関係。そんなことを見て歩いたのです。 |
展示を見て歩くうちに、現代アートの流れは、私の心の中にも、物凄い勢いで流れ込んできて、あっという間に満たしてゆきました。デュシャンの「泉」を見た後、バンクアートの藤浩司さんのゴミの展示を見て帰りました。同じ頃、クリスト&ジャンヌクロードの、ザ・ゲートという作品をテレビで見ました。私の心は、大きく揺さぶられ、現代芸術の面白さに引き込まれてゆきます。どちらの作品も、私の心の中に深く刻まれ、そうして、しばらくすると、私も、コンテンポラリーの作品が自然に作れるようになっていました。彼らの創作の源が何であるのかが理解できたからだと思います。経済的事情のため、廃材を利用して作ることも多くなり、今回、映画で紹介されているミニマルアートという、創作をほとんど排除した、観念的な作品は、日本ではまだ理解できる人がほんの一部だと感じています。それでも、作品というのはいつの間にかできているから困ります。私が生きている間に、この作品は評価されるのかしら?絶望的な気持ちになりながら、時々は売れたりする薔薇の花をまた描くべきかとか、洋画に戻るべきか。自問自答を続けながら、創作とは何か、自分の作品は、どうならなければならないのかを考えています。 |
私の唯一の光は、現代美術館などの作品を見て歩いている若い方たちの楽しそうな表情を見るときです。現代芸術は、近々、もっと身近な理解者や応援者が増えてくると確信も持っています。このコラムを読んだ方、ハーブアンド ドロシーを見た方が、現代美術をもっと身近に感じ、鑑賞することや、その作品に思いをはせる時間を楽しんでくださることを心に願っています。 |
コンテンポラリーアーティストおじゃらりか |
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