「おじゃら画廊」のホームページ 第一章・画廊/カフェ スタートまでの記録

■■■ 049 ★ 最後の電気工事 ■■■

2007.6..16

今日は、電気屋さんが来てくれた。

まだ取り付けていないコンセントとか、電気設備とか、そういうのをつけにきたのである。

画家のキッカワさんが、日付を一ヶ月間違えて、今日きてしまう。

ビミョーに、まだ何も展示されていない。

仕方が無いので、画廊の中を点検していただく。

キッカワ「これでも、今日は、オシャレをしてきたんですよ」

美女かもしれない画廊主に会いに来るのであるから、まあ、紳士としては当然の配慮である。

話を聞けば、アタシが勤めていた会社のグループ会社で働かれていたのだという事がわかり、その後は、会社の話で盛り上がる。

なるほどねぇ。

オジャラ「世の中っていうのは、随分と狭いものですね。」

それから、絵を売ったときの話や、知人に絵を上げた話などを勝手にしはじめて、この先、この自分の絵をどうするのかという話になってゆく。

画家であるのであれば、死後、自分の絵が捨てられてしまうという現実について、何か対策をたてなければならない。

オジャラ「生きているうちに、安くても、人の手に渡るほうが、絵は行き続けてくれると思うんですよ。

死んでしまったら、もう、捨てられてしまうのとおなじことですから。」

キッカワ「ボクは、絵は売りたくないんです。金には困ってないし、あげればあげたで、勝手に金振り込んでくる人もいるし、タダなのに、額が高いとか文句言われたりするし」

というように、自分で作品を手放そうとすれば、嫌な話とセットである。

かといって、画壇に入る気も無いらしい。

キッカワ「100号2点出してくれと言われて、必ず入選させますから。という話で出したとするでしょう。

そうすると、やはり、(それなりの会の入選なので、)推薦してくれた人に、何がしかは(相場の額を)支払わないとならないらしくて、その付け届けをしないと、100号二点出しても、次からは入選しないらしいですよ」

という話。

オジャラ「絵がよければ、付け届けなどしなくても、入選するはずですけどね。金の話云々は、絵が悪い人の話じゃねぇの?それにさ、画壇にもよるよ。あの人たちはさ、画家ではなく、事業運営者だからね。別に絵がいいから、食えているワケでもないでしょう。

絵が腐ってるよ。」

キッカワさんとの話は、ビミョーにずれている。

でもまあ、そんな話(のズレ)はどちらでもいい。

オジャラ「キッカワさんと、オジャラがさ、イイ絵と悪い絵の違いについて、激論を交わしても、仕方ねぇでしょう。

創作の方向性というのは、作家がそれぞれ持つべきもので、それ以上の何モノでもないですよ。」

キッカワ「そりゃ、そうだよね。(人のことなんて、)どうでもいいよ」

キッカワさんは、アタシが、絵で生きてゆこうという強い決意を持って、この画廊を開いたということを理解され、パワーを感じましたと言い残し帰っていった。

駅が見えるところまで送っていく途中、

キッカワ「ボクは、自分の絵が世界で一番いいと思う」

と話されたので、

オジャラ「自分の絵に満足したら、画家の生命はそこで終わりです。自分の絵の足りない所を手に入れてゆく。自分の絵の力を上げてゆく。そういう創作の連続なくしては、良い絵など作れないと思います。」

私は、キッカワさんにそう言い、

「キッカワさんも、もう一度、自分の絵の方向について、どうなることが一番良いのか、仕切りなおしてみてはいかがですか?キッカワさんには、それができると思います。」

マルイでは、区展が開かれているので、是非、アタシの入賞作品を見て言ってください、また、来月(展覧会期中)も来てくださいね。という話をして、彼は帰って行った。

遠方、炎天来てくださり、ありがとうございました。

ある意味、彼が、最初の画廊ビジターということになる。

(近所の通りがかりとかいうのとは違うってことで)

オジャラよ、人にキッパリなんらかを話す時間があったら、もう少しマシな作品を作れよ。

まあ、そういう話だよね。

ガンバルわ。

今度の展覧会は、アタシが開いた過去の展覧会の中で、一番楽しい催しになると思う。

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