◆・◆・◆1999年10月3日◆・◆・◆

●工事部品最終納入

テレビのアンテナも無事に付き、最後に台所の水栓金具の取り付けを残すのみとなった。

当初9月末日までに終わると言っていた工事も、当然に遅れ、バリにしてはかなり早い工事終了となった。そして、次には、壁のペンキ塗りが待っている。汚れに汚れた白い壁は、工事の終わった部屋から、次々に塗られていく。家具が入る前に塗らないと、永遠に壁を塗ることは無いだろう・・・などと思いながらおばちゃん達の壁塗りを眺める。

家具や床などにペンキが落ちても気にしない。後で取れるからだそうだ。次の部屋で私は、古新聞を敷き、ペンキポタポタに対応した。ペンキを取る労力も、新聞を敷く労力もどちらも無駄な気がしてくる。しかしながら、一度ついてしまう汚れを取り除くよりは、汚れを予防し、さらに磨き上げるほうが効率が良いと思うことにした。

一度ついたペンキやボンドの汚れを剥がすと、タイルが傷ついたりもする。タイルが傷つくと、汚れやすくなるからだ。そして、新聞を敷く私は、バリの人には不思議に見えたに違いない。

◆・◆・◆1999年10月4日◆・◆・◆
●ベッド届かず

今日、ボナ村でオーダーしたベッドが届く予定だった。でも来なかった。私は掃除をしながら、3時間も待っていたというのに・・・・。とほほほほ。お蔭様で、ペンキのポタポタも、だいぶ取れました。

◆・◆・◆1999年10月5日◆・◆・◆
●ベッドマットが到着

狭い寝室に、シングルベッド2個を置くのを断念した我々は、ダブルベッドをGET。バリでは最高級の「アメリカンスプリングベッド」200×200の大型だ。しかし、オジャラ邸の階段ドアが小さいため、二階に上げることが出来なかった。うーむ。窓から吊り上げるしかない。誰が、どうやって吊り上げるというのだろうか・・・・。

●ボナのベッド達到着

ボナの家具屋は、賢かった。オジサン3人は、バラバラのパーツと小さな少女達2名を荷台に積んで、我が家にやってきた。小さな少女達は、大きなベッドを2時間で組み立てた。作りたてのベッド達は、ニスを塗りたての嫌な臭いに満ちている。そして、総勢5人の職人達は、大家さんの指示に従って、当然にベッドマットを二階に吊り上げるのを手伝わされたのであった。

端に飾りのついた緑の屋根瓦は、ベッドマットにぶち当たり落下。3つも破損した。しかし、怪我人も無くチップを弾んだため、みんなハッピーだった。ボナのソファセットは外に置かれ、4−5日乾かされることになる。

◆・◆・◆1999年10月6日◆・◆・◆
●エディに工賃を支払う

電気工事は無事に終わった。いくつかの問題は残されたものの、オジャラ邸は、バージョンアップした。電気は豊富に使える予定だし、お湯も出る予定だ。(たぶんね)

もうエディともおさらば。快適なバリライフが待っている・・・・はずである。

●さちち参上

さちちには、新しい家のTELしか教えていなかった。しかし、家にはまだ電話が付いていないのだ。彼女はきっと、何十回もTELしたに違いない。ゴメンネっ!!m(_ _)m

そして、自力でチリカフェを発見した彼女は、エディの工賃の計算をしていた我々に遭遇できたのであった。私が支払いの計算をしている間に、彼女達が黒米のブティングを食べていたというのは、言うまでも無い。

しかし、何も、徒歩で来なくてもいいのにねぇ・・・・。確かに、歩けなくはないけどさ・・・。(遠)

●プリパディに宿泊する

ペンキ工事が終わらないので、我々はプリパディに泊まることになった。

いつものスタッフが、迎えてくれる。なにか懐かしい。豆の木はいっそう伸びて、鳥が増えていた。ここでは、風に吹かれてのんびりする。也十は本を読んでいたが、昼寝に走ってしまった。そういえば、チリカフェでは、本は読まないし、昼寝もしないなぁ・・・・。

★超身近な為替情報 UBUDでは、Rp70−73/円くらいでした。

 ★エナッエナッバグース

今回はお休みします。