◆・◆・◆1999年9月26日◆・◆・◆

だいぶ前に、ギャニャールで、盛大な葬式があったのだ。

メガワティさんまで招待されていた。しかし、大渋滞必至。

「徒歩一時間は覚悟せねばなるまい」とのアグン情報を得た我々は、

あっさりパスし、この日テレビのニュースで見たのだった。

◆・◆・◆1999年9月27日ー10月1日◆・◆・◆
●オジャラ帰国のため、お休みします。m(_ _)m

◆・◆・◆【番外編】◆・◆・◆
●オジャラ帰国

今回の日本行きは充実した。

風呂のカタログをもらい、猫に会いに行き、オニギリ達に会い、ハローワークにも行く。

そうめんは食べたし、モデムをもらうために、友人たちをハシゴした。

最終日には、目黒のわるんでオダを上げ、お蔭様で次の日のガルーダでは爆睡した。

親には電話し、国際電話は高いので、E-mail を使うように指示した。

なにせ、一年前に、アタシがセットアップしてきたのに、一度たりとも使っていないのだ。

子供が海外に行っているのを心配する位なら、「宇部土町昼下がり」でも、読めっちゅうの。

◆・◆・◆1999年10月2日◆・◆・◆
●オジャラ、バリに帰国

イミグレ?当然、聞かれましたよ。「本当の旅の目的は何ですか?」「ホリディ、ホリディ!!」 「本当の」とつくところが、なかなかイカした兄ちゃんでした。怪訝な顔のイミグレ兄ちゃんも、オジャラの強気な顔を見て、やむなくスタンプを押したのでした。

●オレオレたち

今回の主役は、何といっても「33.6kカードモデム」アグン君のボロノートパソコンは、とうとうインターネット使用可能となった。モノクロ液晶の、東芝のそのPCは、インターネットすると画像を表示しないように設定してあるため、サクサクだ。しかし、Rica’s Barなど、何一つ表示されないため、アタシとしては、少し不満だった。

そして、次の目玉は、シェーカー。

チリカフェのバーテン・ニョマンさんは、かつてはロンボクの「名のあるホテル」で、ブイブイ言わせていたらしい。しかし、チリカフェには、シェーカーが無いのだった。こちらでは、シェーカーは、1万円もするらしい。オーナーに言っても買ってもらえないのだ。バーテンも、シェーカーなければ、ただの人。我が家の茶箪笥で埃を被っていたシェーカーは、バリでやっと、長い眠りから覚めたのだ。

数少ないリキュール達で、嬉しそうにカクテルを作る彼を見ていると、こちらまで幸せな気分になった。ちなみに、腕はいいです。とある浅草のバーで一杯2000円もふんだくられる事を思えば、タダみたいな値段です。この日はホントにタダだったけど。

★超身近な為替情報 空港では、Rp72−73/円くらいでした。

 ★エナッエナッバグース

【 ナシブンクス 】

右手前に見える物体は、10時間燻製にされている、只者ではない親子なのだ。これで、ビンタンを頂きます。ちょっと酸っぱめのナンカには、カレー風味のバッチリ効いたサユールを合わせ、ナシと共に頂くのだ。

オジャラ不在時に、毎日頂きました。飽きません。

【 ワルン・ミニのチュミチュミ・ゴレン 】

やっと食えた、これが噂のチュミチュミゴレン。

写真は本邦初公開(であろう)。

触感がね。あの衣がね。なんともね。

【 チャチャ 】

10月2日「今日は何とかの日だよ。」と言いつつ、

アグンが持ってきた。

タピオカから出来ているらしい。

生姜風味の甘いタレがかかっている。

【 JAJA INJIN 】

上記の物体の裏側には、黒米からできたこいつがあった。

当然甘いので、両方とも也十は一口だけ頂きました。

何とかの日に、チリカフェにいれば、

食える可能性あります。オレは好きじゃないけど。