バリ島 ★ぶうげんびりあ (HTML版)


◆◆◆ 068 / 歳時記を開ひてまた閉じて ◆◆◆

歳時記を開ひてまた閉じて

この俳句にはウソがある。

何故なら、私が詠んでいるのは、自由律の俳句で、季語を必要としない。すなわち、歳時記で季語を確認する必要が無いからである。だからアタシは、歳時記を開いたり閉じたりしないのだ。

テレビで、ある俳人(名前忘)の句を紹介していた。彼の作った句は、全ての俳句の中に、読めない文字や、意味不明な語句が混ざっているのだった。五七五でブイブイ言わせた、その筋の方は、普通の俳句に飽き足らず、そういう難しい世界に入り込んでしまうものなのかもしれないが、何か、ムリしすぎなんじゃないかと思ったりもする。

読めない字の俳句や、歳時記を開きながら、知らない単語を選んで句にするというのもなあ。字が読めなければ意味も伝わらない。意味が理解できなければ、俳句で伝えようとした感動も伝えられないということになるだろう。

と、ここまで書いて、自分が『字が読めません』といっているようなものだと気づく。勉強不足を棚に上げた『バカ丸出し』だなと、反省したりもする。

そういえば、アナウンサーの試験を受けた時、『もう少し漢字の練習をしてくださいねーっ。』などと面接官に言われて落ちた事があったっけ。たはっ。あの時から進歩無し。

モチロン、俳句には、語意を増やしてゆく楽しみもあると思う。歳時記を開いて、季語を確認したり、季語を引用した句を拝見したりできる。

『おおっ、こんな意味があったのか!』とか、『この言葉の季語は、この季節だったのか』などと、ちょっとした感激もある。

しかしながら、歳時記でチェックしないと、どの季節か判らない句というのも、何だかなあという気にはなる。

会社を辞めてからは、めったに本を買わない私が、久しぶりに買ったのが、この歳時記。小さい辞書程のサイズで、字も割に大きいので、採用となった。(ホントウの理由は、老眼になっても使えるからっす。)

バリに来てから、細々と自由律の俳句を詠み始めた。

何故自由律かといえば、五七五で読む必要を感じないからである。性格的に、文字数や、季語に制限されたりするのに向いていない事もある。

俳句は、好きな言葉で詠めばよい。

しかも、バリの季節は日本の季節とは違うので、日本の歳時記で季節を確認したりするのは、全く無意味なのである。かといって、バリ歳時記を作るほど言葉への執着も無い。そんなこんなで、自由律に流れてしまったということもあるのかもしれない。

俳句というのは、絵を描くのに似ていると思う。絵は、瞬間をビジュアルで表現する事だし、俳句は、短い文字で瞬間を表現するという事だからだ。

俳句をはじめてからは、景色を見たり、何らかの出来事があったりすると、ポっと俳句が浮かんだりもする。絵を描くだけよりも、少し得した気分になる。

瞬間の映像を短い言葉で表現するという訓練は、絵を描く時にも、必ず役に立つと思っている。理由は無い。

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