◆◆◆ 1691 ★ 現代芸術の理解 哲学とは何ぞ? ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2012.4.9.

現代芸術作品の創作に傾倒してゆくにつれ、作品は全く売れなくなってしまう。

売れるのは、昔描いた油彩とか、もしくは、年に数点作る油彩。

最近の素描もこのグチャグチャである。→

千住で売れる日はこない。

しかも、下町のお姉さま方に、「アナタの作品は、ちっともイイと思わない」キッパリ。

と、言い放たれてしまう。

アナタに褒めてもらうために作品を作っているワケではない。

現代芸術を苦手とする人は、全員、己の勉強が足りないだけなのに、理解できない自分の乏しい感性を棚にあげて、作品を批判したり否定するのは、恥ずかしさの極みである。

以前、横山大観展を見に行ったときの話を、日記に書いたことがある。

http://www.ojara.sakura.ne.jp/art/syabon2/131.html

このページの、意図したところを抜粋すると、

*-*-*-*-*- 以下引用 *-*-*-*-*

横山大観は、展覧会の最後に、

「画は人なり」

画を描くのであれば、まず、土台となる人間を作れ。詩、歌、宗教、哲学などにも触れ、慈を知ること。

人の真似はダメ。常に新しい世界を目指せ

というような言葉で、締めくくっていた。

*-*-*-*- 引用終わり -*-*-*-*

私は、この時には、

「詩、歌、宗教、哲学にも触れ、」

という言葉の、哲学という言葉が理解できなかった。

哲学って何かしらね。

?????

ボーボワールは、確か、若いときに読んだ。

結婚しない女のハシリのようなもので、ジリツする女の行き方的な本だった気がする。

いやまあ、ところどころしか読んでないはずだけど、個人的には、「結婚してもらえなかった女の言い訳」

というようにしか読み取れなかった。

WIKIには、*-*-*-*-*-*

シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir, 1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。フランスのパリに生まれる。サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。*-*-*-*-*-*

などと書かれていて笑った。

あんなに結婚を否定しているように思えても、現代の評価が、事実上では妻だと表記されていることを、彼女は残念に思うに違いない。激怒すらするかもな。

この解釈は、私の個人的なものだし、ボーボワールを盲信している人の中には不愉快に思う人もいるかもしれないが悪意はありません。

女性の解放というのが、必要だった時代だということもわかるし、そういう精神の何がしかは、私に影響を与えているとも思う。

でもまあ、よく覚えていないというのが正しい。

哲学がよく解らないと知人に話すと、「哲学の本を読むといい」

と教えてもらった。

確か、そのときにも、ボーボワールを読んだ話を思い出したんだとおもう。

だから、もう、読んだのは、若い頃、確か大学を卒業したあとすぐぐらいだったかな。

あのころは、よく働いていたからね。

働く女性、自立とは、仕事とは、そういうことを考えて、よく勉強した時代だった。

哲学とひとくくりに言うけど、前の日記が2005年かぁ。あのあと、何年か哲学について考えていた。

ぼんやり、ときどき、考えるようにしてた。

解らないものに出会ったときには、そのことを否定しないことである。いつかわかる日が来る。

そう信じ、そのことも、機会があれば考える。

そういう柔らかい心だけが人間を成長させるのである。

(現代芸術についても、私はそういう考えでおり、ある日わかる日が訪れて、もう、作品も出来ていた。)

哲学的なものを感じるとかね、それが彼の哲学だとか、そういう表現を見たりして、ああ、哲学というのは、個人の道筋的なものだなと。

ふとそう思ったときがあった。

なぜなら、哲学は、その人によって違うからである。

サルトルは、こういい、ボーボワールはこう考える。

そこには違いがある。

そういうことになる。

哲学同士というのは、ぶつかり合いもするし、人に影響を与える場合が多い。

哲学者というのは、哲学を持たないものが読み、丸ごと影響を受けて、あたかも自分でその考えを持っているように誤った思考で人生を進んでしまう。

それこそが最大の不幸だと最近は思うのである。

ニーチェ。そう、確か、ニーチェの漫画を読んだ。

そのあと、ゲーテとの対話という漫画も読み、こちらは買うことにした。笑。

ニーチェは哲学者だけど、ゲーテは詩人である。

彼の話の方が、よっぽど哲学的だとアタシは気がついた。

そう、哲学とは何かが解ったのである。

難しい文字を並べて、自分の主張をすることばかりが哲学ではない。

そういうことになる。

意識せずとも、哲学を持ち、まっすぐに精進している人は沢山いるということになる。

精進をし続ける精神、それが哲学ということだ。

哲学を持たないと、例えば勝負に勝てたりしない。

精神が弱いと、現実に負けてしまうからである。

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