◆◆◆ 1651 ★ ホロスコープの結果 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.9.24

ヘブンのママの説明によると、アタシは、これから第三室に月が入ろうとしているのだそう。

だから、今まで、絶望的な気持ちだったのが、少しずつやる気に向かうんだそうだ。

そう、「絶望的な気持ち」。

ママに言われたときには、そのことは、すっかり忘れていた。

アタシは、アートのマーケットに対する理解が進むにつれて、「絶望的な気持ちだ」と思っていたのである。

ホントウに、その、絶望という言葉がピッタリだと思った。

そのことを、ママに言われて、思い出したということになる。

絶望的な気持ちだと思ったのは、もう、三年とか4年前。

丁度、1室とか、二室に月がいた頃ということになる。

そういう運気だったのね。

着物を着始めたこともあり、帯や着物の小物を作る時代も結構あったし、今は、デザインの仕事なんかを細々とやっていることもあり絵すら、まともに作っていないぐらい、絶望の底にいたということになる。

地震が来たあと、やっぱり、絵を描かないと、後悔するに違いないと思って、少し描き始めたんだけど、そのあと、展覧会がいくつかあり、アタシの作品は、袋に入れられ、倉庫にブチコまれたきりである。

しかも、全てを「退色する紫のインク」で描いたため、売るわけにも行かない。

はぁ。

久しぶりに、画集でも出そう。

退色する前に。とほほ。

やっぱ、画材というのは選ばなくちゃいけないよな。

わら半紙に墨で描いてた作品も、ぐずぐずに焼けちゃったし。

まあ、練習というのは、そういう風に、儚いものだよね。

大竹伸朗さんみたいに、コラージュにして、永遠に加筆し続ければ、それはそれで、ある種の作品に昇華されるかもね。

でもまあ、所詮、人のパクリって評価にしかならないわけよ。

そうして、創作の根本である、自分にしか作れない作品を目指す。

というゴールが、また思い出されるわけ。

そうして、ヘブンのママが、これから、どんどん、運気が(というよりは、やる気のようなもの)がアップしてくるんだって。

また大量に作品を作るってことかしらね。汗。

その他、イロイロな仕事を器用にこなすから、本業がなんだかわからないとか、

芸術的・芸能的な職業につく。

正確は男ね。

などという診断をしてくれた。

ギャラリーにそのホロスコープとママのメモを置いているんだけど、みんな、それを興味深く読み、あたっているなどと、口々に占いの結果について語るのが面白い。

などと思っていると、オシオッサさん(久しぶりに登場)がサインを入れてしまう。

はぁ。

彼女の新作といえば、「ニセトモちゃんと、探トモちゃん」

壊れたハードディスクを鏡代わりに使っていたんだけど、それにも、サイン入れてたけどな。

あと、何かあったかな。彼女は、ぼんやりしていると、イロイロなものに勝手にサインを書き込んで、作品にしてしまうから怖い。

あれはあれで、前衛芸術の一種なんだろう。

アタシは、よくわからないので、そう思うことに決めたのだ。あはは。

それから、久しぶりに来た彼女に、曼荼羅の新作を見せたり、ゴミの日に拾った、動かすと、チリチリというベル音のなる金庫を拾った話や何かをする。

実は、この金庫、大量の絵の具やカラーインクを持ってきてくれた美術愛好家のY田さんにあげちゃったんだけどね。

拾ったときには、鍵が開かなかったんだけど、そこは執念のアタシの粘りで、オープン。

YES!的なね。

そういえば、アタシの新作に、「新にじり口」というのもある。

ゴミの日に拾った、とある通用口。

それに、色を塗っただけなんだけどさ、ウチの茶室にはにじり口がないのでね、にじり口体験をしたい人は、その戸をくぐることが出来るっていう作品。

実は、FM北千住のパーソナリティーのタタリちゃんが、レコードジャケットを置く台を作って欲しいというリクエストがあり、それも兼ねたデザインであり、日ごろは作品を展示する什器としても使われている。

オシオッサさんは、この作品を見てもサインは入れなかったので、きっと、彼女にしてみれば、手がこみすぎていたんだと思う。

(オシオッサさんは、ミニマルアートと呼ばれる、ほとんど創作に手を加えないという作品づくりに傾倒しているので、少しでも手がこんでいるものには、関心を示さないのである)

拾った品に色塗っただけなんだけどな。

色を塗るというのが、彼女的には、もう、許せない域なんだろうと思う。

ニセトモ・探トモちゃんは、ギャラリーに展示中です。

解説をつけたい気持ちでいっぱいだが、今は、忙しくて、それどころではないのだよ。うん。

このほか、今は、モンスターズテーブルさんになっている、以前のさつきのマスターが、大量の釘をくれた。

いまどきは、木ネジというのを使うので、五寸釘は、わら人形しか思い浮かばない。

別に、呪いたいということでもないので、オノヨーコさんの、

「釘を打て」という作品のパロディーを作ることにする。

この作品については、ネットで勝手に検索した、

http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20020218

音楽日めくりというサイトさんから、転載させていただきました。

(リンクが切れてしまうと、内容がわからなくなるので)

以下転載文*-*-*-*-*-*-*

その舞台となったウェスト・エンドのインディカ・ギャラリーに、知人の紹介でジョンが現れたのは、ちょうどヨーコの個展のオープニングの前日のことでした。画廊の中を歩き回っていたジョンが、真っ白なキャンバスに釘と金槌が添えてある「釘を打て」という作品の前で、ふと足を止めます。「釘を打ってもいいか?」とジョン。もちろん、そうして観客に自由に釘を打ってもらって作られる作品ではありましたが、オープニングまではきれいにしておきたかったヨーコは、しばらく考えて言いました。「では5シリング払っていただければ」。まさかお金を払ってまでは釘を打つのにこだわらないだろうと。するとジョンが返した言葉は、「それではあなたに想像の5シリングを払おう。それで想像の釘を打たせてもらうよ」。

そのやり取りがきっかけで2人の交際が始まり、すでに起こっていたビートルズ内部の人間関係の悪化もあって、ジョンはヨーコとともにアルバムを作るほうに情熱を注ぎ始めます。

*-*-*--*-*-*転載終わり

おおっ、そういうエピソードのある作品なのね。

カンバスではなく、板だったと思うけどな。

カンバスには、釘は打てないもんな。

どうなんだろうね。

まあいい、とにかく、有名作品のパロディーらしき品を、廃材で作って、今、おじゃらみくじと一緒に、ギャラリーに展示中です。

もちろん、釘を打つという疑似体験もできます。

こちらのコラムは、どうも、一部が違うような気がしますので、もう一つ、この筋のコラムを書いた記事をご紹介します。

サルトラ日記さんというサイトさんで、記事は、こちらのURLです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/essay/onoyoko.html

以下転載文*-*-*-*-*-*-*

ところで、彼女の作品を特徴づけるキーワードは、「インストラクション」です。例えば、「釘をうつための絵」というのは、白く塗った板の前に、ハンマーと釘が置いてあるというもので、つまり、作者のインストラクション(指示)にしたがって、鑑賞者が実際に釘を打っていく。

これだけみると、言ってみれば「参加型アート」といった感じで、いまとなってはそれほどめずらしくもない、と感じられるかもしれません。

が、彼女のインストラクション・ペインティングの本質は、実は「インストラクションで作品を作る」ことにあるのではない。

指示にしたがって実際に何かをやること自体は少なくとも重要ではない。指示そのものが重要なのです。

つまり、「インストラクションが作品」なのです。1962年の展覧会では、作品ではなく、作品を作る手順を書いた「指示書」が展示されました。

*-*-*--*-*-*転載終わり

という内容です。

タイトルは、「釘を打つための絵」

という内容で、白い板に、ハンマーと釘が置いてある。

まあ、そういう作品が、ウチのギャラリーの2階に置いてあるってことですよ。はい。

体験したい方は、いらしてくださいね。

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