◆◆◆ 1645 ★ 美術番組を見る ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.9.20

今朝は、ボッティチェリのヴィーナス誕生。それから、真珠の耳飾りの女(フェルメール)の番組を見る。

フェルメールの作品は、写真家の篠山紀信さんが、撮影技術を駆使して、作品の光の謎を解くという内容。

被写体に似たモデルさんに、似た服を着せて、似た角度で撮影する。

個人的な感想を言えば、真珠のイヤリングは、黒かったんじゃないかと思う。

番組の中で、服飾の専門の方が、「当時には、こんなに大きな涙型の真珠は存在しなかったので、絵の中で大きくデフォルメしているはずだ」と語っていたし、白いイヤリングが利用されていた。

ハーグのマウリッツハイス美術館に収蔵されているらしく、写真を撮影しているときに、篠山さんが、

もし、このターバンがこの位置にあるのだとすれば、白い真珠にターバンも写り込んでいなければならないのに、それがなく、光だけが反射しているという解説。

もし、黒であれば、ターバンと耳の影になり、黄色は映らないこともありえる。

それに、大きな真珠は存在しなかったと断言していた話だが、アタシは、存在してもおかしくないと思っている。

貴重な品だからこそ珍重されていたのだ。

500年前に遡り確認することはできないが、500年前には、真珠は今よりもずっと大切にされていたことは間違えない。

最後に、篠山さんが、彼独自のイヤリングの女のポートレイトを撮って、番組はしめくくられた。

さすがに、躍動感というのはあるね。

あの絵については、個人的には、今まで全く好きになれなかったし、顔もキライだったが、今回、二時間近く拝見するにつけ、あの、夜の寝屋に男を誘い込むような眼差しに、殿方が心を奪われるというのは理解できた。

背景を排し、黒にしたことを、

漆黒の暗い部屋に、誘い込んでいる絵の一部だと考えればどうだ。

ドアすらも排除し、うっすらと微笑みながら、男を誘う女の眼差しなのだとすれば、あの絵の人気も頷ける。

絵というのは、エロティシズムがあるから、より、人間的に引き込まれるものなのだ。

他のどの絵も、写真のような瞬間を切り取ったフェルメールとしては、少女が、夜の闇に引き込む瞬間も、見逃さなかったということになるし、この絵の水みずしさというのは、そういった、男の想像力をかき立てるという部分において、彼の他の絵と比較しても、ずっと動きが感じられると思えてきた。

個人的な解釈はこれぐらいにしておこう。

あまり気ままな話を書くと、専門筋に嫌われるからね。あはは。

いいの。これは、個人的な日記なんだからさ。

誰にも文句は言わせないわ。キッパリ。

続いて、ボッティチェリの番組を見る。

井上さんが、平面から粘土の塑像作りにチャレンジするという内容。

井上 文太(いのうえ ぶんた、Bunta Inoue)は、日本の画家。本名は井上隆保(いのうえ たかほ、Takaho Inoue)。号である「文太」の由来は敬愛する菅原文太から。 画家の金子國義に師事。

金子さんの弟子だったのか。なるほどね。どうりで絵が似ていると思ったよ。

そうして、なんて美しい素描なんだろうとか、見たことなかったけど、新三銃士のキャラクターデザインを手がけられたのだという。

実際の造形を作った人もテレビで紹介されていて、才能を感じた。

そう、才能というのは、作品から溢れ出てくるもので、見た人は、必ずその才に気づいてしまう。

それぐらい、顕著なものでなければならないのだ。

金子さんのタロットカードの原画を掲載した図録は、アタシのギャラリーに置かれていて、その筋の絵を描く人には、よく見せている。

動きや、絵の独自性、フォルムの軽やかさや、構図の劇的な様子などなど。

若いイラストレーターの方は、目をキラキラとさせ、アタシが差し出す図録をいつまでも眺めて行くのである。

アタシは、「絵の仕事というのは、こういう一流の人たちとの戦い合いになる。だから、自分の作品を、こういう人たちの作品と並べて、足りないところに気づいてね、そんでもって、そこまであげてゆく力が必要になるのよ。」

そう言うのである。

優れた作品から、何がしかを感じ、自分の足りない部分に気づいたときから、その絵を良くしようと、前に進み始めたときから、その人の絵は、画家の絵になるのである。

画家を目指すことになれば、あとは、戦い続けるしかない。

画壇に並んだ巨大絵画の苦悩を感じないわけには行かない。

会場を訪れているのは、画家か、その家族か知人。

入選した絵の前で、家族が写真撮影しているのを、ときどき手伝ったりもする。

オジャラ「お撮りしましょうか?」

よく解らないけど、一旦は断られるけど、皆で映った写真もあると嬉しいので、一瞬の躊躇のあと、「じゃ、お願いします」と結局頼まれる。

オジャラ「それじゃ、もっと作品に寄って下さいねーっ。もう一枚撮りますよ。もっと笑ってくだサーイ」

そうすると、被写体は、ゲラゲラ笑い、良い記念になる。

それにしても、大ファミリーだったよな。ジジババから孫までって感じで。汗。

それから、故という、黒縁写真が横に並べられた写真をチラリと見る。ああ、この人は、亡くなったんだ。

画家とは何だろう。

何十年も絵を描き続けて、やっと画壇の会員となり、黒縁の写真が最後の展示となる。

そんな話を、ギャラリーフェィクでも読んだな。うん。

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