◆◆◆ 1644 ★ 新制作展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.9.19

新制作展は、知人の置鮎早智枝さんが、毎年入選されており、彼女がチケットを送ってくれるので、ホントウに感謝している。

彼女の作品は、毎年もっと透明感がある感じなのに、今年は、少し絵を汚している感じを受けた。

作家の苦悩かしらね。

彼女は、いつも、毎年苦しんで作品をギリギリまで作りこむと話してくれる。

アタシは、絵を描くときに苦しんだりしないからね。

まあ、北郷先生も、作田先生も、そういう苦労の話をされていたけど、普通はそういうもんなんだろうね。

絵を描く苦しみというのは、アタシには解らない。

出来上がった作品がたいしたことがないのは、そういう理由からだと思うけど、それだって、前よりは良くなっている。

闇雲につくればいいというものでもないということも、ウスウスは気づいているのだが、まあ、作れないということもない。

駄作ばかりを並べ、そのことにやる気をなくしてしまうということもあるが、あきらめたということではない。

今年は、二科の会友の北沢さんが、チケットを送ってくださったのに、一時紛失してしまい、行くことができなかった。残念だ。

ということで、画壇の皆様、チケットはおじゃら画廊にお送り下さい。見に行きます。汗。

画廊になって、美術館のチケットをもらったりすることも増えて、役得だと思う。

入館料もバカにならないからね。

このあと、銀座松屋で開かれている、柳宗悦(やなぎむねよし)展へ。

棟方志功や、濱田庄治、芹沢圭介、河井 寛次郎(かわい かんじろう)、バーナードリーチなどの作品の美を見出し、世に出した人である。

収集家というよりは、アートに関する、思想家かな。

無名の陶工の手による作品の美を発見し、集めた人でもある。

棟方志功や、河井のドキュメンタリーなどにも必ず出てくる有名人で、「民藝とは何か」という著書も、購入した。(読んだような気もするが、たぶん、ウロ覚えである、、、)

アタシが買った本といえば、図録を除いて、この、

民藝とは何か(柳宗悦)、漆の話(松田権六)、美の価格(池田満寿夫)ぐらいかな。

ああ、デュシャンは語るという本(翻訳本)も買ったよな。

あれはヨカッタ。

ということで、まだ読んだことがない方は、是非読んでみましょう。アートの世界のことがよく解ります。

漆の話は、マニアックかな。漆がいかに優れた塗料かということは理解できると思います。

あと、戦争のときに、蒔絵の材料を集めるのに苦労したとか、身近で安価なものを試して成功したとかね。

要するに、苦境であっても、創作をあきらめないっていう、そういう精神的なことを学べます。

満寿夫の美の価格は、アートの社会を学びたいという方には、全員にオススメしています。図書館などで借りることができると思います。

全体像を掴みにくい、アートの世界を、客観的に説明してあり、また、その世界から、独自の販路などを確立した、満寿夫の商才というのにも感心します。

ギャラリーには沢山の若い作家さんが来るけど、どの人も、本当に、業界のことを知らないと思う。

見てる数も足りないし。

ギャラリーめぐりをしたことがないという人も大量。

アタシは、月刊ギャラリーのバックナンバーを渡し、イロイロと見て歩くように薦めるのである。

アタシの話は、もし、作家を目指しているのであれば、自分の知っている世界とかけ離れていて、嫌な気持ちになる人も多いと思う。

現実は、物凄く厳しい場所にあるということを、話しているだけなのだが、受け入れがたい現実ということである。

自分の絵に対して、なんらかを言われたりしたことがないという方もいる。

この前、イラストのコンペで入賞された方にも、同じ話をした。

アタシは、自分の絵は棚に上げて、収集家として、画廊主として、客観的な話を、どの人にもしているだけである。

アートの世界は、趣味でないのであれば、皆と仲良くしようという世界ではない。

戦い合いなのだ。

来る人には、その人に合った図録を見せ、その人に欠けている部分を指摘してあげる。

それが、その人に嫌われる行為だということもわかっているが、折角、なんらかのご縁があり、アタシのところに来て、そういう話をすることになったのだから、

いやな気持ちにさせたとしても、そういう話をすることが、アタシの業だと思うことにした。

仲良く、楽しい時間を過ごすということよりも、ずっと難しい時間になる。

それでも、アタシの話すことに心を開き、最もだと受け入れた部分がある人は、一年後、二年後に、物凄く画力を上げてくる。

もしくは、大きな仕事を手にしたり、コンスタントに仕事を取れたりできるようになっている。

絵の成長というものは、自分の絵に奢っていると、止まってしまうものなのだ。

ピカソやミロの絵のように、出来たと思う絵を破壊し、新しいものを作り続けるということこそ、芸術活動であり、自分の画風を守り保身に走ることとは違う。

自分の画風が手に入れられた途端、挑戦をやめてしまう作家さんというのも多い。

画壇系の人は、どの絵も、有名作品や、賞を取った人の作品をパクっているようにみえて、そこもついてないと思う。

自分の作品になれば、審査員の先生は、きっとそのことに気づくし、そのことには間違いがないのである。

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