◆◆◆ 1637 ★ レンブラント展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.6.1

竜さんが、新聞屋さんからレンブラント展のチケットをもらったというので、ごちそうになることにする。

版画多し。

版画の展示のため、細かい線まで見逃さずに見ようという人たちで、会場は混みあい、ゆっくりとしたペースで進んでゆく。

真っ黒な版画がいくつかある。

希少なので、きっと高値なのだと思う。

版画のよさは感じなかった。

エングレービング(ビュランという刃の先端が台形状の彫刻刀)を使って作った格調高い作品のオーラに、より心は奪われた。

この頃、レンブラントは、銅版を腐食させて版をつくる、エッチングという技法を開発し、もしくは、この時代に作られ始めた技法を取り入れ、エッチングの試行錯誤を工房で続けていたと解説にあった。

なるほどね。

それまではエングレービングが主流だったのか。

エングレービング作品の完成度と比較し、エッチング作品は、やわらかく、粗雑に見えた。

もう少し理解が進めば、こちらの方がよいと思う日も来るかもしれない。

今のところは、やはり、並んだときの勝敗として、エングレービングの作品圧勝と思えている。

エッチングの技巧が稚拙ということもあるかもしれないし、

試行錯誤のためし刷りのような作品が並んでいたということも理由かもしれない。

普通は、試刷り品が美術館に展示されるということはない。

あるとすれば、作家が有名で、しかも、死後、管理する人がいて、その人が、展示を許可した場合に限られる。

長谷川清のパリの工房も最近、日本の美術調査団が入り、徹底的に残っている品を調査し、金になるものは、販売に回したような流れがあった。

作家本人としては、試刷りや、完成度の低い、刷りの悪い品が出回るのは良しとしないはずだが、遺族だって金が入ってくると思えば、頭を縦にふるしかない。

そうやって、粗悪な作品も、一流の作品と混じることにより、アートの世界が混沌とし、悪い作品でも良いと思い込む人がでてくるから、いつまでたっても良くならないんだとおもった。

画廊を始めてから、画廊経営にお金がかかり、銅版画教室にいけなくなってしまった。

版画芸術の広告だよな。

画廊もお休みするから、もうそろそろ、広告もやめようかなと思ったりもするが、あの雑誌はいい雑誌なので、作品を発表し、印刷物として残すという筋においては、悪い話ではないと思う。

画壇の公募に作品を出して、落選するのであれば、版画芸術の広告費と同じぐらいなので、そっちに印刷物として残し、収集家にずっと持ってもらう方が価値が高い。

雑誌業界も大変だよな。

これから、情報は、インターネットが中心になっていくと思う。

だけど、美術界においては、レゾネ本(作家の作品をすべて掲載している本)や、展覧会の作品図録などは、なくならないと思う。

逆に、無い作家の作品が美術品になることはないとさえ思えてくる。

たとえば、三岸節子の作品も、あちらこちらで見かけるけど、

ひょっとしてホンモノなんだろうかって、不安になることもある。

(買うわけじゃないけどさ)

本人の図録に同じものが載っていればホンモノだし、無ければ、それは、誰が書いたか解らない。

そういう話なのである。

扱っている作品がニセかもしれないということは、画廊業にずっとつきまとうのだ。

彼女の絵かなと思ったって、その絵がホンモノだという証拠など、実のところどこにもないのである。

似てるけど、オーラの出具合が少ないとかね。

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