◆◆◆ 1617 ★ 否定の中から生まれるもの - 2 ◆◆◆

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インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.535

否定というエネルギーが、何かを生み出すとすれば、それは、「問題」なんだろうと思う。

負が巻き起こす、負の問題。

ということになる。

くだらないので、あまり考えないようにしている。

そういう、負の話に自分が巻き込まれると、絵が悪くなっちゃうもん。

私には、絵があるからね。

絵が良くなれば、全てが解決する。

結果が良くなれば、誰も、何も言わなくなる。

まだ、絵が悪いから、イロイロと言われるわけなのだ。

アタシは、また、少し絵を描いている。

今は、大量に積まれている絵を、スキャンしたり、撮影したりする根性がない。

いつかはやると思うけど、エディションのハンコを押すのが精一杯。

久しぶりに開いた、番号管理のノート。

2008年ぐらいで止まっている。

もう、3年も経っている。

不景気になり、それとは別に、私のところ(画廊)に、イロイロな人が訪ねてくるようになり、絵がかけなくなってしまっている。

先述のDVの女もそう、それ以外にも、何人か、絵に全くかかわりのない人が、ギャラリーに通ってくるようになった時期もあり、迷惑極まりない。

自分には何が起きているのか、よく解らないのだが、

カウンセリングの学校で、そういう、心の悩みを抱える人にあったら、カウンセリングマインドを持って、接してあげて欲しいと言われたので、そうしている間に、そういう人で溢れてしまったということになる。

カウンセリングというのは、1時間5000円とか、1万円とかかかるものだからね。みんな、タダで済まそうということなのか。

嫌まあセラピーを受けているという気持ちはないはずなのだ。アタシも、ケアしているという意識はない。

もともと、問題を抱えていなくても、ウチにくるようになり、その後、別な事情で病気になってしまう人もいる。

人間というのは、脆いものなのだと学んだ。

まあ、ある意味、アタシには、ある程度の知識があるという理由から、相談に来たいということなのだと思うけど、絵も見ず、絵の話もせずに帰る人というのは、全く不愉快である。

最低でも、絵の話をする場にならなければならない。

という理由から、絵に関心のない人の出入りは断っている。

確か、4月の最終日ぐらいに、アトリエに行く。

地震の後ずっと行ってなかったからな。

イロイロなものが落ちてきているに違いなく、

それを元に戻す根性がなかったからである。

入り口は、何かが邪魔をして開かない。

なんとか、それをどけて、中に入ろうとすると、棚の上から、竹の籠などが落ちていて、前に進めない。

今度は、竹の籠やなにかをまた、上に乗せる。

軽いものだから、壊れたりはしないんだけどね。

額ブチの損害はほとんどなかった。

芸大で焼いた、テラコッタの塑像のいくつかが壊れていた。

あ゛あ゛。

あの、北郷センセイをはじめ、講師の皆様方を「アッ」と言わせた、クビがぐるぐる回る作品も壊れていた。

(クビは元々壊れていたが、)長く伸びた手足のほとんどが大破。

もともと、家で作って、上野まで運んだときに、ほとんどの手足が割れていたのを、そのまま焼いた作品なんだけどさ。

考えても仕方がない。

アタシは、破片を集めて、張り合わせるのか、捨てるのか、考えたけど、保留。

それから、上から落ちていた、いくつかの油絵を元に戻し、作業代の転がった筆入れを立て直す。

裏庭の大きなガラス戸は開いたままだったみたい。

猫も入れないぐらいの隙間があきっぱなしだったが、まあ、特に問題があったとは思えない。

私は、絵を描きたくなって、辺りを探すと、下塗りをした十号のカンバスが出てきたので、花の絵を一枚描く。

黄色い絵の具で花を描き、

ミドリと黄緑、ブルーなどで葉を描き、背景を描く。

そうして、三岸節子の絵にソックリだったので、嫌な気分でイッパイになった。

並んだら、負けてるよな。ははは。

はぁ。

ここから出られないと、アタシは、一生画家になどなれないよな。

絶望的なキモチになりながら、少なくとも、この絵が乾くまでは、大きな地震が来ませんようにと祈り、アトリエからいくつかの荷物を持ち出し、ギャラリーに戻った。

おじゃら画廊

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