◆◆◆ 1746 ★ 河井寛次郎の番組を見る ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.4.26

推定、6回ぐらい見ている番組。

何年か前にも彼の番組が放送されて、今回は、また、似ているけど少し違う感じ。

陶芸家の中でも、特番が2回も組まれるなんて、相当の大物ということになる。

とりわけ、彼の作品の、自由さには心が引き込まれる。

陶芸作品というのは、造形的な個性を出すのは難しい。用の美にとらわれると、余分な装飾が邪魔になるからである。

ということもあるし、絵のように、自分の画風を押し付けたりしないところが、一流の陶芸家の証でもある、、、という価値観もある。

それは、作品を沢山見れば見るほど、そうなってくる。

不思議な世界である。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

加守田章二や、富本憲吉みたいに頑張り過ぎてないのに、河井の作品だと解る。

やっぱ、ここがスゴイなと思う。

たとえば、ピカソの陶芸は、彼の絵に特徴があるだけで、陶芸的なセンスは感じられない。

加守田の作品の、あの、イモムシ柄のたたらの技術は超絶だし、富本の、繊細で丁寧な図柄の美しさといったら、いつまでも、小箱を開いてウットリとしてしまう。

が、そんなに頑張ってる感が全く感じられないのに、河井の、ドッシリとした、毅然とした作品たちの、何て素晴らしいことだろう。

しかも、奇をてらっているわけでもないのに、彼の作品でございますという個性もシッカリとある。そこが一流の仕事という結果なのだと思う。

というのがアタシの感想。

ウチに来る人は、一人も知らないんだから困るわ。いるとすれば、昭和サロンのマスターぐらいかしらね。

誰か、陶芸の話がちゃんとできる人来ないかしらね。

まあいいかぁ。

前回の番組でもそうだったけど、彼の番組の素晴らしいところは、彼の仕事に対する、哲学的な部分だと思う。

美を追いかける世界と、美が追いかける世界。

何を表現したかったのか、前回はわからなかったけど、今回の解説では、

【作る側が追いかけるのではなく、仕事をマジメに、一生懸命やれば、美の方が、結果としてついてくる】

というような内容が流れ、ああ成る程。

と理解できたような気になった。

客観的に考えれば、一生懸命やったところで、自分の画風など出てこない人ばかりである。

陶芸で、特に強い作為も感じ無いのに、あれだけの自由さと、作家の個性が溢れている作風は珍しい。

陶芸をやったことのある人なら、ああ、あれぐらい、自分にも作れそうだというようなフォルムなのに、ゼッタイにムリという域である。

模倣品を作ったとしても、並べば、圧倒的な差が出てしまうということである。

アタシは、陶芸は素人だけど、難しさは理解できているつもりである。

だから、へぇこれが、、、、というような造形であっても、それが難しいことも解るし、自分が作れないということも受け入れている。

テレビからでも放たれる、あの、作品のオーラの量たるや、スゴイよな。

それから、墨で書かれた、あの、謎めいた文の数々。

そういった文章の意味を考えることも、また、楽しい。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

今日、アトリエの草むしりに行って、そうして、本当にもったいないよなと思ったりもする。

誰かに貸そうかとかね。

築、大正12年だからね。

そうして、とりあえず、今ある仕事を片付けて、描きかけの絵を完成させたいという気持ちでイッパイになる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

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