◆◆◆ 1739 ★ エル・グレコ展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.4.7

エルグレコ、最終日に、やはり、見なければならないと考え、上野に足を運ぶ。(大風!!)

スペインに行った時には、「ピカソ・ミロは知っており、美術館にも行ったけど、都市部になかったダリ美術館には行かず、エルグレコときたら、存在も知らなかった」

というのが正しい。

ので、今回、まとまって作品が見れたことは有意義だった。

テレビ番組でもいくつも作品を見たのだが、やはり、実物を見なければならない。特に、そのサイズや、マチエール、筆運びのヒッチ、絵の具の厚さ、絵の破損具合などをである。

エルグレコの作品は、400-450年前に描かれた品なのに、破損が少ないなと思った。

注視すれば、ひび割れがないわけではないが、たぶん、丁寧に修復され、剥離や、これ以上のひび割れも防ぐ目的なのだと思う。

大切にされるということは、そういうことなのだと実感。

日本の仏像などは、古いまま残すという方針もあるみだいだが、アタシは、破損や劣化を食い止める、最低限のメンテナンスは、絶対にするべきだし、出来うれば、完成当時の姿を復刻もしくは、本体をそのように装飾しなおすべきだという考えを持っている。なぜなら、当時の人が美しいと思った美意識は、色がはげた仏像からは知りえることは出来ないからである。

それにしても、宝石のようにキラキラと美しい作品もいくつもあった。

全部ではない。

この絵は、違う人が描いてるんじゃないかという絵から、どうにも暗くて、飾るのには頂けないという作品も。

それでも、エルグレコの、宗教に対する、時代に対する、宗教家や、当時の世相に対する思いや、反骨というものが画面に現れており、それが、彼の出世を阻んだという歴史も見逃しがたい。

そうだよね。絵を描き進むと、ありきたりでは、描いている自分が満足できなくなってくるみたいなところはある。

グレコの絵は、宗教画という一点で筋が通っている。肖像画もいくつも見たが、やはり、モデルが静止状態なので、絵も止まっている。

ホントウの画力が現れるのは、肖像画や静物の描写ではなく、画家の脳裏にある、イメージを表現したときなのだと思う。

ルーベンスしかり。

ああ、ルーベンス・・・・。4/21日まで。

行かないと、、、、。お、お金が、、、、。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

ワタリウム美術館3/23撮影の

おじゃらの巨大ポートレート

グレコの絵は、ルーベンスと比較すると、数段落ちるよな。あはは。

ルーベンスと比較されたら、世界中の画家が負けてしまうけどね。

あの美しさときたら。

それでも、先般見た、数枚の巨大ルーベンス作品が並んでいる部屋を見て、それはそれで飽きてくるものだと感じて、人間の関心を維持し続けるというのは大変なことなのだと思ったりもした。

ええ、行きますよ。ルーベンス。

彼の絵に学ばない画家がいたとしたら、それは、自己満足をしているだけであり、その先の伸びシロというのが無いってことだと思う。1577-1640かぁ。グレコと時代が重なる感じだけどね。

ベラスケスにルーベンスが会いに行った記録が載っているという話を聞いたことがる。

そうだよね。うん。画家というのはそういうものだと思う。グレコには会いに行ったりはしなかったと思う。そういうものなのよ。

今回のグレコの展示には、イロイロな工夫があった。説明も細かくついていて、字も大きくなっていた。もっと大きくてもいいような気はするけど。

それから、子供のプログラムというのがあり、電子ボードをクビから下げて絵を鑑賞しながら、思ったことを描いて進んでいる子供たちを何人も見かけた。

素晴らしいと感じた。

絵というのは、素直に感じ取るもので、そういった感性というものは、子供の方が、よりストレートに出てくるものだと思う。

日本人は、感情表現が、他国の人と比較して下手だと思う。

下手というよりは、そういった表現をして、コミニュケーションをよりよくしようという学習をしたことがないということになる。

アメリカのように、人種が複雑に混じっている日常では、感情をきちんと相手に伝えることができないと、殺されてしまうこともあるのだ。

それは、大げさということでもなく、自己保身的な要素ではないかと、海外在住体験のある私は思う。

おじゃら画廊

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