◆◆◆ 1727 ★ 風姿花伝 観世宗家展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.1.19.

● 風姿花伝 観世宗家展

会田誠の次が、この展覧会というのにも、何か因縁を感じる。

日本的なもの、歴史的なもの、そういったものを強く意識した会田のコンセプトというのは、実に興味深かった。

鑑賞者は、作品に意味を求める場合が多いのである。知的人層が、アートの世界を牛耳っているということもあると思うけど、意味の無い作品についての、本質的な理解が、まだ進んでいないということは、ヒシヒシと感じている。

【作品そのものには意味がないんです】

会田も、音声ガイドで、そういったことに気を配りながら作ったというような解説をしているのに、見るほうは、やはり、自分なりに理由をつけて、作品を受け入れるという傾向があるのだ。

まあいいか。

話しても、この感性の隔たりというのは、縮むこともなければ、折り合うこともない。

それがイイとか悪いとか言っているのではない。

その人たちには、「意味の無い作品」の存在そのもの、そういったものを作る作家の信念すら、理解できる日は永遠に来ないのである。

アタシは、この、9年間、日本で創作活動をしていて、そのことだけは理解できたつもりである。

そういう事情だからこそ、理解できる人が出現する日をまっているということになる。

会田誠の作品群で、アタシが一番感じたのは、作品が新しいという部分である。

戦争画であるとか、平山郁夫とか、東山魁夷であるとか、風神・雷神であるとか、そういったものをモチーフにしつつ、新しい感性で、時代を象徴した作品を作るという画業は、あまり見たことが無かった。

大竹さんみたいに、「自分の画風というのが出てきたら、打ちこわし、新しい表現に挑戦する。」

というのが、一昔前の創作活動という気がしないでもない。

観世宗家展では、昔の装束や面などが多く展示されており、門外不出の家訓的な、「能とはなんぞや」

みたいなマニュアル的巻物も展示されていた。

上手い文字の品もあり、下手な文字の作品もあった。

テキスタイル好きなアタシは、図録を求め、今度、作品を作るときのモチーフに使おうと張り切っている。

物凄い混みようで、日本の伝統文化を応援したいという人たちの熱気を感じることが出来た。

伝統文化が存在しなければ、新しい表現も産まれないのだとこのときアタシは感じたのである。

でもまあ、なんらかの過去の作品とか、事象とかからインスピレーションを感じて、作品を作るだけの画業というのは、今後、どういった評価になるのかには、疑問を持たないわけでもない。

横尾忠則さんの作品にも、有名作品のパロディーはあるけど、(ルソーとか)彼は、彼にしか作れない作品も同時に多く作っている。

パロディー作品で話題を呼び、最終的には自分の作品を見せている。そういう流れを上手く作り、集客をしていると感じたことがあった。

会田誠は、音声ガイドのナレーションでも流れていたけど、「(グロくて)見たくない、だけど美しい」というような部分は、卓越していると思う。

このあと、一緒に展覧会を回った竜さんと、蕎麦屋で一服。

亭主に、「お酒は一合ですか、二合ですか」

と聞かれ、二合にしてください。

と答えると、満杯にお酒が入っている徳利を出してくれた。

次に、オチョコを出して、これでいいですか?

聞かれたため、コップにしてくださいと申し出る。

アテには馬刺しと卵焼きを頼み、

彼女は、かけ、アタシはモリを頼む。

銀座万歳。

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