◆◆◆ 1604 ★ 絵本作家 加古里子(かこさとし)さん  ◆◆◆

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2011.1.7. 更新

今日は、加古里子(かこさとし)さんという絵本作家の番組を見る。

テレビというのは、見ても見ても終わらないから困る。

別段、見る予定ではなかったが、その映像が優れていたので、引き込まれてしまう。

大正15年生まれの加古さん。中学校時代には、軍隊を目指すも、視力が悪く、学業で国を支えようと思ったのだという。

そうして、今では、そのときの判断が正しくなかったと、60年もの間、悔いているというのである。

フジタの番組を見たときにも、フジタは、自分は戦場で絵を描いて戻ってきたけど、戦死した戦友とともに、死ぬべきだったんじゃないかと、晩年になっても語っていた。

戦争の残す心の傷というものは、深いものなのだと思わされる。

私には解らない場所にあることだけは間違いが無い。

加古さんは、軍人になる夢を絶たれ、東京大学に進み、工学を学び、勤め人をしながら夜は、科学絵本の作成を続けてきたのだという。

作品が売れるようになり、会社を辞めてからは、世界20カ国以上を旅して、また、絵本の構想を暖めきたのだという。

私は彼の絵本のことは知らなかったが、絵本を作るという、根本になっている、その意志には心が動かされた。

「学ぶ楽しさを子供に発見させる」

そういう本を目指し、子供のまなざしまで降りてゆき、子供がわかるように本が作れる才能ということになる。

絵も、手書きの暖かいものであり、叙情的なものもあれば、化学本らしく、宇宙や細胞を丁寧に説明する、苦心がうかがえる本であると思う。

幅の広さや、コンテンツの良質さには天性のものを感じた。

朝の幼児番組みたいに、なんの意志も感じられない映像を随分みていたので、幼児番組に対する概念が間違っていたというのがよく解った。

出版、絵本創作、そういったもものは、作家の意志をつかさどるものでなければならないし、人の心を動かし、成長できるものでなければならない。

とまあ、そういう結論になる。

加古さんの絵本は、アタシにそれを教えてくれたことになり、今日、この番組を偶然見たというのは、何かのご縁だったのだと思わされた。

2月から、アリオ北砂というショッピングモールのカルチャーセンターで、イラストの講師をしてくれないかという打診があった。

人数があつまらないと、開講できないので、予定は未定だが、土地柄、若い世帯の集合住宅がビッシリと立ち並び、ママたちが沢山習いに来るエリアなのだという。

私は、「何でもイラストレーション」

という講座名を「にこにこイラストレーション」という名前に変更してもらい、若いママが、子供と過ごす時間を楽しめるようなイラストを作ろうという方針を打ち出した。

アタシには子供がいないから、まあ、ママほど子供の話はできないかもしれないが、それだって、何人かの子供の絵を見てきた実績はある。

どの子にも問題がある。

まあ、親にもある場合が多いんだけどさ。

子供にとって見れば、絵を描く時間というのは、何もかもから開放される、楽しい時間にならなければならない。

親は、子供に、絵を上手く描かせようとして、子供の絵を描く力を潰してしまう場合が多い。

大切なことは、絵を描く時間だけは、子供をほめる時間にしてあげることだと思う。

そういったときに、この、加古さんの本を紹介しようと思う。

そうして、「意欲」をもてる人間になるような絵を、ママには描いてもらおう。

うん。

これはいいね。

加古さんは、「判断が悪かったから、軍隊に行こうなんて考えたんだ」と話していた。

いやまあ、あの時代は、軍隊に行き、日本のために働くというのが正しい思想であると、誰もが信じていたのだから、加古さん一人の間違いではない。

ただ、「正しい判断をする力」というのは、最近、物凄く低くなっていると思うことが多い。

それは、画廊に来る人や、近隣で関わる人と話していて思うのだけど、何故、こんなカンタンな判断に迷うのか、そのほうに驚くこともある。

それは、情報の質と量の違いに起因する。

正しい判断というのは、良い情報と悪い情報の両方をまず持つこと、それから、正しい判断に進むための決断力というものを持たなければならない。

情報というのは、多くあればあるほど、決断力が乏しくなるものである。

正しい道に導いてくれる何か(指針)が必要となる。

それが、理論というものではないかと、アタシは考えている。

「理論上はこうであるはずだ」

現実とはもちろん違うが、1と2という情報があり、どちらかを選ばなければ前に進めないときに、理論はどうなっているのかを参考にしながら進むということになる。

歴史に置き換えてもいい。

そう考えると、ある程度の情報を集めても、一人で前に進むことができるようになり、おおむね、それは、間違った方向ではないほうにすすむはずである。

もう一つの指針は、「人のためになるのかどうか」

「違法ではないか」

ここは、必ず、考え、守らなければならない。

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