◆◆◆ 1598 ★ あけおめ・ことよろ ◆◆◆
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FM北千住 毎週日曜 夜九時オンエアー(あとはいつでも見れますよん)
2011.1.3. 更新 ぼんやりしていたら、もう、正月3日である。 最近、ミクシーのゲームばかりしていて、日記を書くという気力がなかった。 さすがに、ゲームにも飽きてくる。 人間というのは、何もかもに飽きてしまうので困る。 今年は、ゲームの時間は減らして、絵を描こうと思う。 ということで、読者のみなさま、お待たせしました。 別に、文が書けないとか、絵が描けないということではない。 とくに、絵に関して言えば、時々しか描いてないけど、画力というか、造形の力ごと、上がってきていると感じる。 それよりも、何を描くのかとか、自分の絵が、どうならなければならないのかとか、そういうことを考えている。 そうしないと、絵が大量にできてしまい、その絵の上に、また絵ができて、画廊が散らかってしまうのだ。 その絵の山にうんざりし、疲れている。 |
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それにしても、バリ絵日記時代のイラストはかわいかったよな。 もう、絵が上手くなってしまい、こんなに味のある絵にはならない。 それが、画業というものである。 たしか、原画は100枚セットになっていると思うんだけど、紛失中。アトリエの解体でもしなければ、見つかることもないだろう。 2010年は、「表現というものは、自由なものである」 ということが、ホントウに理解できた一年だったと思う。 「自由度」 この、自由という言葉は、芸大で、北郷先生にも、「芸術自由」ということを教えて頂いたのだが、アタシは、もう、それよりもずっと前から、MIROの絵に惹きこまれていた。 そう、MIROの何に惹きこまれていたのか、それが、ハッキリ解ったということになる。 20年以上も前に、MIROの絵の前に立ち、鳥肌に包まれたあの、表現し難い感動というものは、「自由との出会い」だったのだと、今は納得できる。 |
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先日、アヤコ嬢(←日記には初登場かもしれないが、画廊には秋ごろから出入りしているニューフェイス) に、フンデルトワッサーの図録を見せてあげようと、二人で、画廊に行く。 彼女は、棚という棚、壁という壁に絵が山積みになったアトリエにすごく驚いたようだった。 彼女は、アタシの日記を読んでいないということが判明。笑。 WEBにある絵も見ていないんだ。 まあいいかぁ。 そういうことは重要ではない。 私たちは、材料と称し拾ってきた廃材なんかの隙間をカニ歩きで、アトリエの中に入り、目当ての図録を取り出した。 それから、その近くにあった、立体の図録、シャガールの図録も取り出して、ギャラリーに持ち帰る。 オジャラ「フンデルトワッサー、アナタの絵に、きっと、刺激を与えてくれると思うよ」 アヤコ「なるべく、彼の絵や作品に似ないように、頑張って作ってみます」 オジャラ「どんな作家も、優れた絵に影響を受けないということはできないのよ。だからね、最初はね、影響を受けたものに、似てしまってもいいの。 どんどん描き進むウチにね、必ず、自分の絵というのが出てくるからね。その兆しを見逃してはダメよ」 アタシは、彼女にそういい、彼女は、フンデルトワッサーの図録を見つめるのであった。 |
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アタシは、持ち帰った、造形の本を開く。 「ああ、なんて自由な造形なんだろう」 見開いたページの、そのオブジェの作者は、MIROだったので、アタシは、そのことに驚いた。 やはり、私の師は、MIROだったのだと、確信のような嬉しさが沸いてくる。 それは、自由とは何かが、作品を見て、解るぐらい、自分の鑑識眼、審美眼が上がってきたということなのだ。 画廊主としては、ホントウに喜ばしい進歩である。 |
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