◆◆◆ 1582 ★ 田中一村展-2 ◆◆◆

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2010.9.24. 更新

片岡球子も、最初は落選をし続けたんだけど、結局、自分の絵がもっと出てきて、たぶん、最後のほうは、院展の審査員もやっていたんじゃないかしらね。

絵というのは、並べば優劣がつく、力の世界。

パワー勝負なのよ。

それは、イラストであっても同じ。

画壇入選に挑み続けたところで、絵が売れるということでもないの。

絵とは何かがわかり、そういう結果が作品に表れているのかどうか。そこなんだよねー。

千葉市美術館は、実は、一村の千葉時代の作品を結構な数、所蔵していたのには、少々驚いた。

いつ、どうやって手に入れたのかしらね。

晩年の傑作が、とても優れていたので、奄美に美術館ができて、そのあと、遺族から、市が買い取った、もしくは、一部は寄贈を受けたというのが正しいと思う。

特に、突出した内容の作品ではないけど、一村というだけで、旧作であっても、入手したい人は多いと思う。

日本の収集家は、知名度と、希少価値に大金を支払うという構造なのだ。

スケッチブックの素描などには、特に巧いとも感じさせるものがなかった。

モディリアーニの素描集などみると、震えが来るぐらい、正確なヒッチで、スっと引かれた線が、もう、絵になっている。

才能の違いというものなのかしらね。

アタシが、もう、名画を見すぎて、凡庸な話に心が動かなくなっているのかなあ。

イロイロなことがアタマをよぎり、もう、展覧会などに行っても、それほどの感動は得られないことも多い。

それでも、今回の図録は、厚さが三センチ程もあり、会期中に売り切れるという、千葉市美術館はじまって以来の快挙(たぶん)

沢山のご要望に応じ、刷りますので、予約販売をします。

と、現金を回収。

良い内容だったので、2500円を求めることにする。

マンレイとあわせると5500円も図録に使ったことになる。

はぁ。

アタシが図録を買うのは、自分のためというよりは、ウチの画廊に集う作家さんのため。

田中一村を知らない作家は沢山いる。ということになる。

風景イラストを描く人も何人もいて、どの人もうまいんだけど、精神性とかね、構図とか、そういう、独自のものをもてない作家さんも多いのだ。

イラストの仕事というのは、お客様の要望にあっていれば、まあ、お金はもらえるからね。

それはそれで構わないんだけどね。

でも、もっと、知ったほうが、作風が伸びるって人も沢山いるわけでね、そういう人は、書棚から勝手に図録を持ち出して、畳の上で、長いこと眺めて帰るのよね。

脳に何かしらの刺激を受けてね。

一村の作品は、オットに見せたら、ポンゴセカンスタイルだね。バッサリで終わると思うけど。まあいいわ。

注:ポンゴセカンスタイルというのは、バリ島にある、ナチュラルな自然と花鳥を描いた画風の絵画のこと。

絵の持つ精神性というのは、実のところ、作家の精神と等しい。

画家の絵の軌跡を追えば、どの時代あたりから、そのことに気づき、そういう絵を残そうと意識した創作に変わったのかまで解る。

セザンヌは、「リンゴでみんなをあっと言わせてやる」

という意志を持ち、リンゴの静物を多数作ったということになり、

「あっと言わせる」

という意志が、すでに、コンテンポラリーと同じ場所にあるということである。

そうして、アタシなどは、セザンヌの名画を何度見ても、解説を読んだり、テレビで見たりしても、へぇこれが。

的な感想しか持てず、すごいとも思わないという時期が長かったことを思えば、最近、ようやく、絵の鑑賞ということが理解できてきたのだと思う。

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