◆◆◆ 1555 ★ 一日一善  ◆◆◆

2010.6.23. 更新

画廊の前を、白い杖をついた人が通る。

店にいた二人は、「あの人は少し目が見える」って言ってたが、アタシには、全盲だと解った。

ガラス戸越しに見守ると、案の定、前のバーの鉢植えにぶつかっていた。

もしかしたら、最近全盲になった方かもしれない。

歩くのに慣れていない。

お店にいた人たちに「ちょっと駅まで送ってくる」と留守番をたのみ、外にでる。

ギャラリーから駅までの道は、鍵形に折れているので、このままだと駅までいけないと思ったあたしは、その男に声をかける。

「どちらまでですか、肩をお貸ししますよ」

そうすると、男は、ありがとうございますと言って、肩に手を当てて、歩き始める。肩を借りるのにも慣れておりませんという感じだった。

駅まで行きたいというので、近くまで送りますと言い、マルイ前の信号アタリまで行くことにする。

盲目の方のための黄色い道は、信号の前まできていた。

このままでは、図書館まで行けない人続出だよなあ。

大きな公共機関までは、最低でも黄色い道は必要だよ。

信号が青になるのを待ち、一度は信号を渡るのだが、黄色い道が途絶えていることがわかり、もう一度、さっきの場所まで折り返す。

そうして、「この黄色い道を歩けますか?」

と聞いて、彼もハイと言うので、あるいてもらうと、早速道からはずれてしまう。

オジャラ「駅までお送りしましょうか」

そう言ったのだが、大丈夫ですというので、もう一度、黄色い道に足を乗せ、ここを歩けば、駅に行けますよと言い、ギャラリーに戻る。

少しみれば、全盲だということは明らかなのに、シッカリ歩いているように見えると、こちらも、眼が少しは見えると思い込んでしまう。

全く見えないのに、出歩くということ自体すごいけど、世の人は誰も助けてくれないのだと思うと、地獄のようだよね。

そういえば、この前、パン屋さんにも、全盲の人がパンの列に並んでいた。

お金を何度も確認しようとするのだが、(最近盲目になったため、札に入れられたポッチの位置がわからず)確認もできない感じだった。

お店の人が、「このお金は、1000円ですよ」

と買い物を手助けして、つり銭を渡していた。

途中から全盲になった人には、点字などを習得するのが難しいと聞いたことがある。

そうだろう。今までそういう細胞が鍛えられていないのだ。そんなにカンタンに点字が読めるようになるはずがない。

こちらで見分けがつかないで、みることもできないのであれば、お店の人が悪い人であれば、万札を1000円だといって、小銭のおつりしか渡さないってことだってあるかもしれない。

アタシは、ホントウに辛い気持ちになった。

日本人は、親切なようで、障害を持つ人たちになれていないと思うことが多い。

障害者の人は、友達ができないという話を聞いたことがある。

そうだよなあ。

話のピントがズレてしまうこともあるもんなあ。

実のところ、話のピントがズレているという人たちは、障害者に限らないんだけどさ。汗。

外国に住んだせいかもなあ。

言葉が通じないと、必要な話は、通じるまで粘り強く進めるという習慣ができたのかもしれない。

人には、それぞれ、ペースというものがある。

同じことをするのにも、物凄い時間がかかるひともいる。

アタシには、特別に早くできる作業がある。

その差の時間は、早くできた方の待ち時間ということになる。

その待ち時間を待てないという人が多い。

それが、人間関係を悪化させていると気づいたことがある。

ビッグコミックオリジナルというコミック雑誌を読む。

はぐれ雲と、農学部のセンセイの話を読んだ。

どちらも、善人が、善人らしい行いをし、ハッピーエンドという筋なのにわらった。同じ筋かよ。

鉄ヒロシ先生の赤兵衛は、磨きがかかったと思った。

あれはマンガの自由度を越えているよ。

ああ、日本人の勧善懲悪という道徳心は、マンガでも読者の共感を得るものなのだと思ったり、マンガで、人間のあり方を教育しているのだと思ったりした。

盲目の人が困っているムードに出会ったら、とりあえず、肩をお貸ししますと、声をかけ、黄色い道まで案内するようにという筋も、是非漫画家のセンセイ方には書いて欲しい。

今日は、七夕飾りが届いて、高齢の方がギャラリーのために、一生懸命作ってくださった小さい飾りたちは、アタシの最初のコンテンポラリー作品(断片)に吊るされた。

そうして、来た人は、ごく自然に、思い思いに、絵のことや、創作の話を七夕に書き入れて、飾りに吊るすのだった。

本音のところ、ギャラリーに七夕飾りは不要かなあと思いながら、彼女が一生懸命に、アタシのための七夕飾りのために、指先を動かし、脳を働かせ、暑い中、具合が悪いのに歩いてきてくださり、彼女の健康が少し長引くのだと思えば、ある種の世作りだよと思うことにして、アタシも短冊を書く。

「ヨイ絵が描けますように」

ギャラリーに、また夏が来た。

おじゃら画廊

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