◆◆◆ 1548 ★ 来客 ◆◆◆
2010.6.2. 更新 ギャラリーはお休みなのだが、来客は毎日ある。 仕事の話の人もいれば、結局人生相談みたいになってしまうこともある。 アタシの話を聞いて(ちなみに、アタシの悩みではない。) 「ボクの悩みなど、ちっぽけなのだと思い知りました。もっとデッカク生きます」 みたいなね。 はじめは躊躇していたその悩みも、結局アタシに話すことになり、 別にちっぽけな悩みとも思わなかったが、人には、それぞれ、言い難い悩みというものがあるものなのだと学ばされる。 オジャラ「まあ、徳を積むっていう表現かしらね。創作というのは、一人きりで完結する業だからね、作業の間に徳を積んだりすることができないのよね。」 普通の仕事であれば、必ず何がしかと関わり、一緒に儲けたり、泣いたり笑ったり、恩を着せたりできるものなのよ。 オジャラ「だから、できるときに、徳を貯めているのよ。ポイントカードシステムみたいなものかしら」 極楽に行くためなのか? 徳を積むという言葉は、簡単ではない。一日一善、見返りのないヨイコトをするというのは、そんなに容易くない。 自転車で帽子を落とした人のを拾ってあげたり、おとしものした人に声をかけたり、エレベーターのボタンを押したりもする。 けなげな積み重ねというのが、ヨイ人間を構成する。 |
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知人に言わせると、アタシは、ヨイオーラを発しすぎなので、悪いオーラの人は近づいてこないのだそうだ。 そうだよね。 腹黒い人は、きっと、アタシのことは好きにならないと思う。 「あーいうイー子ぶった人が、世の中で一番キライ」 的な人物こそアタシである。 自分でそう書いて、それほどいい人でもないかなと思う。 笑。 嫌なことは、嫌だと言うし、ダメなものはダメだと言うからね。 自由業なのだ、キライなものに付き合う必要はない。 ダメなものは、いつまで経っても良くなることはない。 根本が悪いからなのだ。 根本を解決しなければ、ダメなものが良くなることはない。 日本が何故良くならないのか。 それは、地価税が悪い。 投資の効率が大幅に下がり、バブルで上昇した土地が適正価格になったのはまあいいとして、事業採算が今までのように取れなくなったから、ビジネスモデルを変えざるを得なくなった。 不労所得のある人ばかりがリッチで、それ以外は、一生不安という世の中になってゆくのは、それはそれで恐ろしい。 コドモなど生まなくてヨカッタ。 そういうオチまでついてくる。 |
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人は、生きている限り、稼ぎ続けなければならない。 そういう構造が、どの人をも追い詰める。 ボーナスは全額カット、給料も下がり気味。 この先、どのぐらい、そういう時代が続くのか、もしくは、会社が破綻してしまうのか、 そういう不安の中で、息をし、何かを食べ、明日も生きなければならない。 アタシが知っている、団塊の世代よりちょい上の上司たちは、みんな子会社やなにかの重役になり、それなりの退職金をもらい、最近会ったとしたって、リッチそう。 それが、団塊となると、リストラされた感強し。 たった何年かの差なのに、ホントウについてないって思わないわけにゆかない。 まあ、アタシなどは、バブルOLの王道といった人生で、(早くに退職したため)そういう次元でもないんだけどさ。 10年もサラリーマンをやっていたということも、今や昔話。 この前も、アラ団に襲撃されたときに、 『辞めてしまえば会社にたいして、何の力も持ちません。』 そうだよなあ。会社の株でも大量に買っていたりすれば別だけど。笑。 |
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まだこれからも活躍できるエネルギーの行き所が無くなっている。 そう感じることは多い。 人間の士気というのは、自分が必要とされていないと感じるときに最も下がる。 それは、若い人であっても、年寄りであっても同じこと。 中学校からずっと不登校で、高校も中退。 世の中で、どうやって生きていくのか心配になる。 心配しても仕方が無いのだが、学校に行けば意地悪されるので、危ないから行けないというぐらい、切迫されている実態もないわけではない。 現実というものは、残酷なものである。 学校で教えるべきは、そういった残酷な現実を乗り越えるスキルでなければならないということにほかならない。 教科書を薄くしたり厚くしたりすることとは違うのだ。 |
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