◆◆◆ 1527 ★ ドローイングセッション  ◆◆◆

2010.4.17. 更新

久しぶりに、ドローイングセッションに参加したいという人から予約がはいる。

前にも少し書いたが、彼は、結局一枚の絵も描かずに4時間ほど滞留し、帰る。

何をしにきたんだよっ。

次回から、強制的に絵を描いてもらうことにしよう。

おかげで、雑誌表紙のイラストがイッパイ描けたわぁ。

途中から、知人がアタシの絵を買ったというご婦人も参加し、ポストカードコンテストの、主催者の方も交え、三人が、アタシの話を聞きながら、アタシの絵を描くという時間になる。

●ゴッホの絵の話

オジャラ「ああ、ゴッホの絵ねぇ。あの人、才能なかったよね。広重やミレーなんかのパクリ絵を、自分の絵でございますと、堂々と発表しちゃうぐらい、画家としてのモラルが低いよね。」

と罵倒。

そのあと、ゴッホの絵が何故、世に残されたのかという話になり、なんだかんだ、パクリ絵と、本画(ゴッホの場合は、ゴッホの油彩と、広重の浮世絵)なんかが、並べてテレビに映って、解説までされたりするからね。

しかも、展覧会に行くと、その絵だけ人だかり。

現実というのは、本来目指すべき芸術性とは、ビミョーにズレていることもある。

事実を否定してはいけない。

オジヤラ「世の中の人というのは、パクリ絵が好きなんだって気づいたんだよね。ヨコオタダノリさんだって、ルソーのパロディー作ってるしさ、ヤマモトヨーコさんとか、ピカソだって、そういう類の作品もイッパイつくっているんだよね。

ヤマモトヨーコのゴーギャンの「われわれはどこに、、、」のパクリ版画が、近代美術館で展示されていたときには、アタシは気絶しそうになったよ。だからさ、アタシも、少しは作ることにしたのよ」

ご婦人「ああ、二階にピカソのがありましたよね。あれ、面白かった」

オジャラ「ああそうでしょう。コーンの時代ね、、、、」

ここから、コーンの時代の解説が延々と続く。

アタシもよくしゃべったよなあ。

ラフ・ストーン「オジャラさん一人でしゃべってた」

オジャラ「絵もイッパイ描けてヨカッタわぁ」

というように、フツーに絵の話で盛り上がる。

コーンの時代の意味と、その結末。

殺伐としていて、ネットには書けないわぁ。

作品というのは、当初の予定とは違う方向に向かってしまうこともあるのだと理解できた。

人生とは奥深い。

創作の意図とか、画家が何を考えて絵を描いたのかというのは、ほんの瞬きにすぎないということになる。

作品が残り、時代が変われば、絵の意味も変わるということである。

そうして、作家が、作品の意味を書き記したりしないと、意味は、迷宮入り。

研究者と名乗るひとたちが勝手な話をでっちあげ、話には尾ひれがついてテレビ番組で流れたとしても、ホントの意味は、結局は、誰にも分からない。

とまあ、そういう話になる。

アタシは、作家として、自分の作品の解説を残すのか、残さないのか、考えなければならなくなった。

まあ、残さない。

それもいいかなと思う。

アタシが、真意を書き残せば、正しい解説が、作品と一緒に展示され、深さや奥行きはひろがることは無い。

逆に、見るものの想像力を広げられる作品というのは、作品解説が残されていない品に限られる。

伊達に、美術番組を見ているわけではない。

美術に携わる方、美術愛好の方が、一体どんな話をでっちあげ、アートを楽しんでいるのかという現実を知れば、作家の真意など、小さな話なのだ。

それは、優れた俳句には、前書きなどなくて、

読み手の記憶と重なって、無限大の解釈にひろがっていくことと同じに思える。

アートを楽しむためには、作家は、作品創作の意思など、残さないほうが、作家の格が上ということになる。

アタシのアート研究も、ずいぶんと進んできた。

バリ島から帰国して、いよいよ8年になろうとしている。

信仰というもの、哲学というもの、芸術の道というもの、

そういうことが、少しずつつ、自分の解釈の中で、確立してきているということになる。

バリから帰国したときには、まだ、絵というものすら、見たことが無かったのだということに、いまさらながら、驚かされる。

東京という場所は、あらゆる情報を提供してくれ、テレビは、展示以上の本質的なものを教えてくれたということになる。

おじゃら画廊

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