◆◆◆ 1505 ★ 性格を変える?  ◆◆◆

2010.3.6 更新

ギャラリーには、イロイロな人がくる。

この前来た方は、「自分の存在が無意味だ」

と言い放った。(注:生きていて幸せかとアタシに尋ねた人とは別な人なのよ!!)

いやまあ、誰だって、存在しないほうが、地球環境にはやさしいに決まっている。

この前、死のうとしたけど、死に損なうというのは、ある意味、生きなければならない事情というものがあり、寿命がまだあるという考えを、ここに書いた。

どうなのかなあ。

アタシは、そういう、ネガティブな思考をしたことがないので、どのように返答をすれば、その人がうれしいのかということが分からない。

それはそれで、恐ろしい。

もし、ウツ気味ならば、「あなたの存在には価値がある」などと言ったとしても、症状がますます悪くなることもある。

病院で、クスリをもらうと、楽になるよといってあげたりもする。

ネガティブ思考が、本来の性格なのであれば、性格を変える気があるのかどうかを確認し、もう少し、ポジティブに生きたいということであれば、可能な性格改善の案を話し合ったりもできると思う。

でもまあ、人の性格など、何でも構わないのだ。

アタシに迷惑がかからなければ、どちらでもいい。

ものすごく邪悪な人というのも、画廊には来る。

おどろくほどの負のオーラ的なものを放っているように思え、そういう人をみるのははじめてだと思ったりもする。

最近は、イロイロな人を見すぎたせいか、多少性格や脳が壊れていたとしたって、それはそれでいいじゃないかと思えるような大きさになってきた。

アタシは、その人の家族ということでもないし、その人の人生の波乱万丈を聞きたいということでもないのだ。

昔を思えば、「少しおかしい」程度の人は、普通に近所に住んでいたりして、おおらかに、周囲の人も受け入れて、それなりに月日が経っていたもののような気がしないでもない。

なんか、ギャラリーにはイロイロな人が来すぎて、そのことに、アタシは驚き続けている。

自分の絵のために、きっと必要な試練なんだと思うことにしている。

創作、人の心を動かす、

そういう仕事というのには、必ず、人間的なものが求められているということであり、アタシは、相槌をうちながら、人間の喜怒哀楽について学んでいるということになる。

喜怒哀楽というのは、なかなか絵に表れてはこないものだね。

たいした絵も描いていないけど、それでも、絵のストックは毎日増えていて、ゴミのような絵にエディションを打っては、アタシは、ほんとうに、これを描きたかったのかを問うたりもする。

頼まれて描くイラストは、別に、たいした思い入れもない。

先方がよろこんでくだされば、アタシの仕事は終わりなのだ。

た゜けど、自分の作品というのは、それとは違う。

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