◆◆◆ 1469 ★ 銀座のアート クリスマスフェア-その4  ◆◆◆

2009.12.21 更新

とある、有名画廊に入ったときの話。

知人「リカちゃんも、こういうところでやればいいのに。絵が同じような感じだよ」

オジャラ「ああ、これぐらいは描けるというのも混じってますよね。ははは。」

知人「花の絵とかの躍動感というのは、どこを見ればいいの?」

オジャラ「静物や花というのには、躍動感は、もともとないですからね、それに躍動感を入れるとすれば、蝶を飛ばすとか、葉に水滴を垂らすとか、風が吹いている風景とか、そういう話を加えるかどうかですよね」

知人「なるほど。でも、これらの絵には、そういうものがないですよね」

オジャラ「躍動感のある絵など、ほとんどありません。」

知人「そういう絵は、どう考えればいいんですか」

オジャラ「買っちゃダメ」

キッパリ。

マーケットから躍動感のない絵を排除すると、1パーセントぐらいしか残らない。笑。

100枚見て1枚とか、2枚しか、動いている絵は存在しないということになる。

知人「どうして、躍動感のある絵はあまり、存在しないの?」

オジャラ「普通の人には描けないからです。動きを手に入れた人というのは、絵が描けるだけじゃなくて、それ以上の勉強もしたということになります」

イラストの協会には、もともと天才も多いから、例としては除外。

モデルを座らせて絵を描くという絵の描き方が間違ってるんだよなあ。とアタシは内心思っている。

雑誌なんかに載っている昔の絵とかであっても、必ず動いているからね。

そういうことを、キチっと理解して創作しているのかどうかは、絵の結果に現れるのだ。説明などは不要である。

が、どうしても褒めなければならない場合も、生きているとあるにはあって、日本画のように、静なる美しさを極限に表現するとかいう、テレビ的な言葉を使う場合もある。

どちらにしても、アート初心者は、動いている絵を中心に見るという方法が正しいと思う。

やっぱり、静やかさや、ウチからこみ上げてくる毅然とした美しさ、そういうことが理解できるようになるのには、アタシも5年以上かかったということになる。

でもまあ、画廊なんかを流していて、そういった作品で、心を動かす作品というのには、まだ会っていない。

美術館ではね、前田せいそんとかね、何度見ても、心が動かされるけどね。

アタシが行くような、安い価格帯の品が置いてある画廊には、そういう作品は無いし、あるとは解っていても、買う気もないので、敷居の高い所には入らないし。笑。

片岡球子先生の作品などは、静物だって、富士山だって、本当に生き生きとしているし。

動かないものを描いたとしたって、パッションというものは、絵の中から飛び出てしまうものである。

そうして、この先、いつまで不景気が続くのかという不安。ボーナスカット、バイトはクビという現実。

はぁ。

創作意欲が沸かないわぁ。

それにしても、アタシと一緒にギャラリーを巡っている別な知人たちも、信じられないぐらいに、眼が肥えてしまっていて、怖い世界なのだと思わないわけにはゆかない。

良い絵か悪い絵か、買う決断ができる情報量の習得に必要な研修時間は、1.5日ということになる。

こちらにしてみれば、一人で行くよりは、何人かで画廊を襲撃し、勢いで回るほうがずっと楽しいので、ちょうど良いタイミンク゛だった。

ウチなんかよりもよっぽど小さい画廊もいくつもある。

どのギャラリーも頑張っているんだと思わされた。

村上画廊さんに、相笠さんの作品が何点か売られていて、あの、アタシが感動した作品の話で盛り上がった。

アタシも、村上さんも、その作品は、その場にはなかったのだが、どの作品かは理解できていて、そうして、芸術とは何かが理解できると、芸術作品かそうでないかも理解できるようになるのだという確信は持てた。

買うだけなら、見分けるだけでいいのだが、作家になるためには、それを、更に作れるようにならなければならないわけで、そのハードルは、物凄く高いということになる。

オジャラよ、その下手糞な茶椀をナントカしろよ。

たはは。

2個売れて、作成原価は回収。

1月の展覧会での展示はできないので、予めご了承下さいという実態。

どうしようかなあ。

新作を作らねば。

おじゃら画廊

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