◆◆◆ 1464 ★ 陶芸教室に行く  ◆◆◆

2009.12.12 更新

確か、8日と9日だったような気がする。

陶芸教室に行って、前に作った作品に絵付けをしたり、新作を作ったりする。

陶芸作品は、絵ほど高く売れないし、失敗する確率もあり、しかも、原価が高い。

ので、あまり作りたくないのだが、つくりはじめると、やめることはできない。

イロイロ考えたけど、やっぱ、アトリエは一人なので、実の所、サミシイのかもしれないと思ったりする。

陶芸教室には、かならず生徒さんがいて、工房なので、それぞれが作品作りをしながら、別な方の作品を見たり、まあ、そういう世界である。

今までは、そういう風に考えたことはなかったが、ひょっとしたらそうなのかもってね。

最近は、銅版画の教室にも行けないので、人と一緒に作品を作る空間というのは、陶芸教室しかなくなってしまったこともあると思う。

アトリエにモノが増えて、ビミョーに、絵が描きづらいってこともあると思う。

どこかに出かけて絵を描くという性格でもないし。

それから、来年の年賀状のことを少し考える。

年賀状かぁ。

ビミョーに個展のお知らせと、ら・おじゃらを入れて、クリスマス前に出したいという夢はある。

郵送料が足りるのか心配。

そういう理由なんだ。笑。

リスト作りぐらいはしておかないとな。

リストかぁ。

手書きだからなあ。

ふう。考えるだけでも面倒だよ。

年かなあ。

作品は、素焼き段階からヒビが入っている品、ゆうがけに失敗した品など、心が行き届かない。

心が行き届かない茶椀ということになる。

未熟な人間は、作品に丸写しになる。

はぁ。

これが、実力というものだ。

センセイは、アタシの茶椀の高台について、面白いという感想を述べ、そうして、どの人も、アタシの茶椀を、遠くからでも見間違えないという造詣は、悪くないと思う。

遠くから見ても、ゼッタイにアタシのだと解る。

それは、用の美という範囲の中では、ものすごく、ハードルの高い場所にある。

手の形というのが、そうなってしまうのだと思う。

しかも、絵付けにより、アタシが作った作品ということは、決定的となる。

まあ、この、品の無い抹茶茶椀で、お茶を出せるとしたら、それは、ウチのギャラリーで、アタシがお手前をするときに限られるよね。

誰も怒れないもんね。

他のところで出されたらどうかしらね。もっと、個性が無いほうが、茶椀の格としては上なんだろうと思ったりもする。

この茶椀は、造詣がね、何か、飲んだりするのに向いてない。

なんで、こんな形になったのかは不明。

できてしまったものは仕方が無い。

昨日には戻れないのである。

陶芸は、ビミョーにお金がかかりすぎるんだよね。

ティーカップを前から作りたいと思っているんだけどね、

なかなか作れない。

おじゃら画廊

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