◆◆◆ 1460 ★ 八木美術さんに行く  ◆◆◆

2009.12.12 更新

えびす会のカタクラ薬局さんに、作品を展示さて頂いているので、至近の八木美術さんに立ち寄る。

ら・おじゃらを届けるためである。

今日は、見覚えのあるバリ島の木彫が大量に置いてあった。

オジャラ「うわーっ。これ、バリのですよね。どうしたんっすか?」

八木「いやあ、ひと山いくらで仕入れたんだけど」

オジャラ「売れないっしょ」

というアウンの会話。

物販というのは奥深い。

バリ島では、行った人も、土産を買いたいモードになっているから、売れることがあるというだけで、東京で、大量に展示されているからといって、売れるとは限らない。

土産物というのは、思い出の場所でセットであるから価値があるのだ。

アタシも、バリ島で買ったイカットのコレクションをヤフオクで処分しようと思ったことがあり、少し調べてみたが、動きがない(低価格でも落札に至らない)ことに驚いて、売るのはやめにした。

1000円で売っても苦戦するのであれば、自分で使うほうがよっぽど価値がある。

バリ島の木彫は、大きいからね。

ジャマだよね。

そういう理由から、屏風とか、掛け軸というのは、伸び縮みして保管という機能性に優れているなとか、根付とか簪のような、小さな世界に美が集約されている日本の美意識というものに、本当に、心を動かされるのである。

それから、少し、インターネットの話なんかでもりあがり、図録を渡して、緑町に流れる。

緑町では、まちかど美術館の展示が行われていた。

多摩美の学生さんの4人展。

寒い中、留守番ご苦労さまでした。

アタシは、奥に設置されたビデオを拝見。

子供が描いたマンガのようなパクリ絵を、雑誌の切り抜き写真の上に貼り付けたような作風で、一気に引き込まれてゆく。

現代作家なのだと、5秒で把握。

嫌ねえ。同じ臭いってことかしら。笑。

結局最後まで楽しんで、彼女には、文化庁のメデイアグランプリとか、デジスタに作品を投稿したらどうかというメモを渡す。

才能というのは、必ず、世にでてしまうものなのである。もし、出ないのであれば、それは、力が足りないのである。

そういえば、営業担当君が来たときに、画壇のコンクールに作品を出さないのかという質問をされた。

オジヤラ「画壇にだしても、どうせ、私の作品は落ちてしまうと思います。コネないし、ワイロもないし、賞はムリだし、そんなお金あったら、オタクの雑誌に広告だしたいわ。笑。そのほうが、よっぽど有名になれるもん。」

たとえば、有名画壇で賞を取ったからといって、絵が売れるということでもないのである。

そんなことよりも、ちゃんとした画商が扱いをはじめてくれるほうが、よっぽど、作品はハケてゆくはずだ。

という説明をすると、営業担当君も、大きく頷いた。

画壇の役割というものは、昔は、もっと機能していたはずなのに、何が問題で、こんなに機能しなくなっているのか。

審査員クラスは、さすがに、画廊がついている画壇がおおいけど、そうでない画壇もあるし。笑。それはそれで怖いと内心思っている。

イラストの協会員の方が、よっぽど絵で稼いでいると最近は思うことの方が多い。

ほとんどの人は、頑張ってHPを作るし、DTPの勉強もする。

画家ときたら、そういう努力もしない。

がんばりは、必ず結果になって差がでてきてしまう。

それぐらい、お金を稼ぐということは、どんな世界でも力の差があるということになる。

100号の絵を何枚も描かせるだけて、賞は常連さんを巡回する会では、作家が育たない。

イラストのコンペなんかを見ると、佳作であっても選に入った人は、そのあと、作品ファイルを作ったり、営業の出方を学んだりして、少しずつ仕事を増やしている人がおおくて、

それは、アタシに報告にくるから解るんだけど、そういう意味でも、身になる会だというキモチになる。

おじゃら画廊

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