◆◆◆ 1455 ★ イラストの仕事が終わる  ◆◆◆

2009.12.2 更新

毎月作っている雑誌の表紙と、エッセイの仕事が終了。

今月は年賀状のイラストもあった。

雑誌のカバーイラストというのは、年を重ねるごとに力が上がってゆくものだと思わされる。

絵も上手くなっているんだけど、構想力というのは、初期の頃と比較してもずっと自由である。

正確な表現をすれば、考えていることを絵にする力が向上したため、稚拙な世界からは、多少抜け出ているという感じ。

アタシは、絵が好きでこの道に入ったワケではない。

小さい頃から絵をずっと描いていたというお絵かき少女ダッタワケでもない。どちらかといえば、文学系。

というか、夢見る乙女系だったような気がする。

大学に入っても童話に毛の生えたような、民話だとか、日本の絵巻モノの現代語訳とか、そんなのが好きだった。

現実離れしていて、かつ、ハッピーエンド、しかも、登場人物少な目というのがね、

ああ、シドニーシェルダンが流行っていたときには、読んだこともあった。一行タリとも覚えていないのだから、それは、読まなかったのと同じことである。

雑誌表紙イラストは、来年は、またCGになったため、ビミョーに原画が残らないというのが惜しい。

CGの腕も、たしかに上がっている。

上がったのかは解らないが、短時間に作れるという力は、更に向上したということになる。

地図の仕事のおかげで、たてつづけに2本仕事がきて、さらに、打診も1つきた。

その他、そのあたりの話を聞きにくる、どこぞのオエラいさんとかもいたりして、良い仕事というのは、確かに反響があるものなのだと思わされた。

とあるドキュメンタタリー番組を見た。

たしか、科学ジャーナリストとかいう人をインタビューするというスタイルで進められる番組だった。

アメリカでは、新聞社がどんどんと閉鎖に追い込まれていて、科学の専門新聞も廃業することが決まったときの映像。

「キミ(従業員)たちが悪かったということは1つもない。ただ、(ネットや、そのほかの情報流通により)新聞が、以前のような役割を果たせなくなったのだ。自分たちを責めないで欲しい」

と、解散を伝える担当の人が話ていることに心を動かされた。

ダーウィンも、「適応できなかったものが絶滅する」

と言っている。

日本のように、大きな新聞社の淘汰が進まないことの方が怖い。

負債を大きくし、改善しないまま、全てが破綻するのかとおもうと、ついていない。

商業的立場からいえば、業態を進化(適応)させるというのと、非採算部門を閉鎖するという作業を同時に行わなければ、存続は有り得ないのである。

オジャラよ、画廊の赤字について、もっと真剣に考えたらどうだよ。ははは。

ここのところ不景気で、仕事がパタリとこなくなってしまったからね。

大変だよ。

大変なのは、アタシだけではないのだと言い聞かせ、出を少なくし、サボテンのように生きている。

かすかに来る仕事を請け負い、結露のような雫を舐めて暮らしている。

それでも、別に不幸ではない。

志というものは、まだかすかにゆらいではいる。

棟方志功だって、納豆売りのバイトをして絵の具代を稼いだのだ。

そのことは、恥ずることでもなく、むしろ、誇りにさえ思う。

もし、そう思えないのであれば、その人は、苦労というものを知らない人というだけである。

人間の喜怒哀楽や、苦労という目に見えない過去は、作品に必ず出るものだし、そういったものを経なければ、作品というのは、よくなることもないのだと、最近は理解できるようになった。

おじゃら画廊

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