◆◆◆ 1433 ★ 一蝶 ・ 暁雲(俳号)  ◆◆◆

2009.10.28 更新

一蝶という画家の番組を見る。

名前は一蝶、俳号は暁の雲。

太鼓持ちで、自由人。

いいねえ。

番組でも、俳句を作ることを通し、表現というものを磨いたと話していた。

俳句というのは、藝術表現についての理解を深めてくれる。

この事には、アタシも、前から気づいていた。

それぐらい、表現という世界が、俳句には凝縮されているということになる。

俳句の何たるか、イコール、藝術とは何か。

といっても、過言ではないとアタシも、一蝶の番組には同意。

 

ら・おじゃらにも書いたけど、

もし、アタシが、俳句に出会わなければ、藝術とは何かを知る日は、まだ来ていなかったかもしれない。

それぐらい、大切な時間であったのだ。

俳句を作るという時間は、もはや、必然だったと思えてくる。

それから、太鼓持ちという職業について考える。

お客様だけでなく、芸者さんにも気を遣い、場の雰囲気を盛り上げ、楽しい時間にするように心を配る。

これが、太鼓持ちということのよう。

なるほどねぇ。

サラリーマン社会でいえば、調子のヨイ営業君ってことかもね。

話が面白くて、遊ぶのが上手いと、仕事も取れる。

そういう世界だった。

例えば、全く知らないもの同士が、話を盛り上げるっていうのは、ホントウに難しいことだと思う。

これを、プロ(太鼓持ち)に任せる。

そういう話である。

世の中、全て金が解決してくれる。

太鼓持ちは、自分が酔うワケにもいかないし、どの人にも嫌われてはならない。

そういう意味では、一流の人格者でもあるはずである。

お客様とチラリと話をし、場を読み、楽しい時間を演出する。

今は、テレビバングミとか、映画とか、マンガとかあるけどね。昔は、そういう共通の話というのは、共有できない事情があった。

インターネットがあるわけではないからである。

全く関係の無い人達を、同時に盛り上げるというのは、宴会芸だよなあ。

まあ、藝術作品というのも、見れば、ぐっと引き込まれて、そうして、至福の時間に包まれる。

そういう意味では、共通点はあるのかもしれない。

もともと、そういう仕事が向いている人というのは存在する。

誰かに気を遣っている方が、酒を注がれているよりも、楽しいという気質なのだから、それはそれで、天性だと思う。

そうして、菱川の絵と並んだ、一蝶の美人画の躍動感の素晴らしさ。

ああ、表現というのは、あのようでなければならない。

そう思わされる。

そうして、ヨイ絵と悪い絵が混在して、どちらも高く評価されている情報の質の悪さに、アゼンとしないわけにはゆかないのだった。

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