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2009.8.28 更新

十和田の現代美術展の番組を見る。

四年前からスタートした、細々としたイベントであるが、随分と、育ってきたように感じる。

何よりも、その、展示会場の広さだよね。

とにかく広い。

田舎だからね。

そうして、廃校になった校舎だとか、人が長いこと住んでいない日本家屋であるとか、蔵なんかが展示会場となり、人々は、乗り合いなどで、展示会場を回るような感じ。

番組では、地元のおばあちゃんたちが、ギャル作家の創作の一部を手伝っている。

彼女の言葉を借りれば、手伝うなんてもんじゃなくて、共同作品だという手伝い具合。

おばあちゃんたちも、それぞれが、やることができて楽しそう。もともと、冬には、藁を編んだ土産物なんかを作っていた過去もあり、手先は器用だし、単調な仕事を根気よく完成させる、粘り強さも持ち合わせているという土壌。

女流アーティストばかりが目立ったのは、何でかしらね。

滞在費など、ある程度のまとまった資金は、男性アーティストは、貯めたりできないのかもしれないと思ったりもする。

女性は、その点、コツコツと貯金できる子もいるからね。

アタシも、独身だったら、猫と、旅にでてもいいんだけどね。

なかなか、そういうワケにもいかないよね。

ヨコハマでさえ遠いもの。

取手?

あそこは駅から遠すぎるっしょ。

というように、長時間の往復の時間や交通費を考えれば、今ある空間で、作品の発表を続けるという方法も、アリだと思う。

入って来る予定がないのだから、出を少なくするというのは、当然の話なのだ。

ベネツィア ビエンナーレの日本館。

今年は、やなぎみわさんの作品が紹介されていた。

スゴイスケールだよねえ。

子供まで産んじゃってねえ。

彼女の作品は、スチール上で発表されることが多いんだけど、そのユニークな出来上がり具合や、コンセプチャルな部分に、いつも引き込まれて、作品の力の強さを感じてしまう。

自分の作品などと比較すると、ま、随分と差があるよなあと思ったり、あーいうのはね、自分のテイストではないと言い訳したりもする。

あの人は、写真を売るんだよね。きっとね。映像作品とかね。

どうなのかな。

越後妻有の現代アートの展覧会の作品も、どうするのかなあ。図録ったって、そんなに売れるとも思えないし。

作家が、業なのであれば、収益のことも考えるべきなんじゃないかと思う。

まあ、気が利いた作家さんなら、小さい作品も、都心のギャラリーで販売したりもしているのかもしれない。

アートフェアなんかに、出してもらったりしてね。

リャドの作品の番組で、彼の画塾というのがあり、日本人のお弟子さんが、晩年、その画塾で彼に絵を習ったときの話が流れていた。

3ヶ月ぐらい、カンバスに、線ばかり描かされるんだって。笑。

なんか解る。

苦行のような、単調な作業の中に、美しい線が描けるような技術が伴ってくる瞬間が、必ずあるはずだし、そのことをおろそかにしている人には、その先も、ちゃんとした絵など描けないということを、リャドは教えたかったのだと思う。

そういう、基本的な素描の力が上がらないと、絵がよくならないんだよね。

ある程度画力があったとしても、その辺の、鍛錬の度合いによって、結果が物凄い変わってくる。

別に、上手いからいいってワケでもないけど。

アート番組というのは、支離滅裂に、イロイロな時代の、イロイロな作品が紹介される。

見る側は、テレビ番組を鵜呑みにしてはいけない。

大切にしなければならないのは、自分が、その作品から受けたパッションである。

良い絵は良いし、悪い絵は悪いのだ。

テレビの解説は、史実を紹介する程度ならいいとしても、学芸員が、間違った方向で研究結果をまとめていることだってあるに決まっている。

人間は、結果を出したがるのだ。

アタシは、彼らが食べられるのに、画家が食べられないというのは、どこか、構造が間違っているんじゃないかと、常々思っている。

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