◆◆◆ 1358 ★ 陶芸教室に行く ◆◆◆

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2009.6.28 更新

陶芸教室に行く。

釉薬をつけなければならない茶椀が6個ほどあって、月曜日が釜入れなので、今日作ることにする。

ほとんどの生徒さんは、今日が、銀座のグループ展の搬入日で、ひっきりなしに、焼きあがったばかりの作品を取りに来ては、運び出していく。

アリンコみたいね。

アタシがこちらに来はじめたのは、去年の2月ごろだからね。そのときから比べると、皆さん、本当に技術が上がっていて、そのことには関心する。

センセイは、教えるのが上手い。

アタシは、絵付けの茶椀の焼き上がりがあまり良くなかったので、自分で使うことにして、抹茶茶椀は、やっぱり、釉薬をドボンとかける感じのにしようと決める。

抹茶茶椀というのは、お茶の脇役だろう。どう考えても。

どうなんだろうね。その辺の考え方。

お茶を飲むための道具なのか、人を楽しませるための道具なので、お茶よりも、優先順位が高いのか?

考えても仕方が無い。別に、それほどのおもてなしができるわけではない。

点てていて思うことは、あまり厚いと泡立たない。

ということだけだ。

であるからして、自分の手に合った、泡立ちの良い茶椀というのが、最も優先順位が高いということになる。

アタシは正しい。

そういう茶椀であれば、柄は、その次の話ということになり、値段も関係がない。

香合も作りたいけどな。なかなか、技術が至らない。

磁器の土は、作るのが難しいのよ。

陶器製の塑像も3体できる。

乾燥中に、どんどんと羽はもげてしまい、素焼きしたあとも、壊れてしまうものもあった。

というように、技術は不足している。

手を抜いているということよりも、経験値の不足ってところだと思う。

テラコッタだと、同じ方法でも間違いなくつくからね。強度は弱いんだけどね。

釉薬も、吹きつけが足らないで、期待していたツヤツヤにムラができている。

白いから、釉薬のかかり具合を確認するのが難しいんだよね。

この前の分で、イロイロ勉強になった。

今日は、主に、しんしゃと、白天目を厚塗り。

どう焼きあがるのかは、まだ未知。

水曜日が楽しみ。

Kのマスターから電話が入る。

何でも、陶製ボタンができたら見たいのだという。

オジャラ「あのボタンかぁ。1個100円とかで売ると儲からないし。自家使用かしらね」

という世界。

焼いたら著しく縮んでしまったということもある。

磁器は、縮小率が大きいんだ。

抹茶のお茶碗も、ビミョーに麦茶用って感じになってきたし。

仕方が無いかぁ。

縮んでしまった作品が、大きくなることはないので、考えるのはよそう。

Kのマスターは、そのあと、この前、長谷川潔の女性の木版画が表紙の古い本を買ったという話をする。

オジャラ「いくらだった?」

という会話。アタシってば、聞きにくいことも、よく聞くよね。笑。

きっと、それを自慢したかったんだよな。間違いない。笑。

長谷川潔は、銅版画を持たなければならない。

それだけは、間違いが無い。

マスターは、最近ヤフオクで、古い時代のガラス物を集めているらしく、

オジャラ「ゴミみたいな作品集めちゃダメだよ」

などと言われたため、「カチンと来るわ」

とか言いながら、この日の電話は終わる。

何に価値を見出すのかというのは、本当に人それぞれであり、収集家とか、愛好家とか名乗る人物の、集めっぷりには、いつも、関心する。

それに、勉強になる。

買い方や、その扱いにもである。

収集家と名乗る輩は、必ず買っているのだ。

それは、アタシもそうだし、皆そうなのだ。

だから、絵さえよくなれば、必ず売れるという確信もある。

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