◆◆◆ 1349 ★ と、ある画廊での話 ◆◆◆
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2009.6.18 更新 少し前、巡回コースに入っている画廊での話。 画廊「あのさ、近くに、良い物件が出てね、貸し画廊もやろうと思うんだけど、どう思う?」 オジャラ「ま、集客さえでれば、いーんじゃないんですかね?」 画廊「いやさ、それなりに、回転しないと困るんだけどね」 オジャラ「ふーん。どうやって人(出展者)を集めるつもりなんですか?」 画廊「特に考えてないんだけど」 オジャラ「あのね、貸画廊っていうのはさ、たいして上手くも無い人の絵を褒めちぎって、作家さんからお金を引き出す商売なんですよ。 だいたい、素人の絵を見て、褒めたりできるんですか?」 彼とアタシは、ざっくばらんな関係である。 ま、アタシは、どこにいても、言いたいことは言う性格なんだけど。 |
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中略。 話が長いからね。 そんでもって、アタシが、決定的な一言で締めくくったため、彼は、貸画廊をスタートすることを断念したようだった。 その後、どうなったのかという結果はまだ知らないが、ご本業の作品単価のレンジをもっとあげるほうが、彼のギャラリーのためだと思う。 画廊業というのは、もし、商売なのであれば、利益を上げなければならない。 ビジネスモデルというのは、収益構造をどこに置くのかというところが重要なのだ。 収益を得るということは、そんなに甘い話ではない。 道楽なのであれば、収益が低くても継続する意味はある。 右の絵も、来た人が、スっと入ってきて買って行った。 絵というのは、そういうものだと思うし、そういう絵にならなければならない。 それは、画廊が企画だろうと、貸だろうと、それ以外であろうと同じことである。ただ、貸画廊の場合、作品が美術品ではないので、どうしても、安価でなければ、購入されないという宿命はある。 |
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そういえば、昨日福岡から来た男は、アタシの絵を見て、「3枚作る分を一枚に集中して、絵の完成度をあげたらどうだ」 という助言をしてくれた。 アタシの裸婦の絵を見て、きっと、気にいらないところがあったんだと思う。 自分的には、カンペキな出来具合だけどな。笑。 この絵は、ぼんやりしていたら出来上がっていて、(一気に描画)確かに、赤いテキスタイルの部分は、本当は、もっと手のこんだ柄にする予定だったのに、手を抜いちゃったんだよね。 そのことは、今でも思い出して、描きなおそうとおもうんだけど、何年もそのままという絵ではある。その都度、手を抜いたことを悔やんでいるんだよね。笑。 手のこんだ絵かぁ。 どうかなあ。 ヴィーナスの丘が、グチャっと描かれてるからかもな。 あまりリアルに描くと、絵が厭らしくなるからね。 私は、女性なので、絵をエロく描く必要がないのよ。 厭らしい気持ちで描いてないからね。笑。 美女連の皆様、キレイに描くから、モデルになってねー。 |
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マティスの絵も、こんぐらいだし、ピカソのだって、もっと早い絵もあるけどなあ。 時間をかければ、絵が良くなるというワケでもない。 絵は、どこも描き直したりしていないので、画面がホントウにキレイで、伸びやかで、アタシらしいな絵だったと思う。 この前は、アタシの絵はカンタンだと言う人もいたし。 別に、気にしているこということではない。 2005年の絵が、一番デキがよかったというのは、別なる問題である。 デキがヨカッタってことじゃないな。 自分の作風を全うしようとしていたってことかな。 最近クロッキーをサボっているので、素描の力が落ちているんだと思う。 絵が下手になると、この絵は、作れない。 基本的な筆運びというのは、ほんとうに、積み上げるものなのだと思わされる。 |
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