◆◆◆ 1347 ★ 人が訪ねてくる ◆◆◆

 

2009.6.18 更新

何でも、福岡から来たのだという。

その男は、友人と、わざわざ、おじゃら画廊を東京見物のリストに入れてくれたということになる。

実の所、昔東京に住んでいて、その、下宿とか、バイト先なんかを訪ねたのに、どの物件も壊されたり、廃業されたりしていて、凹んでいたのだそうだ。

そうして、今度は、別な場所に移動しようと思ったら、中央線が不通で、しかたなく、ウチに来ることにしたらしい。

なんだ、仕方なくか。

嫌、まあ、そういうことでもない。

彼らは、3時間も話して帰っていった。笑。かなり思い出深い時間になったはずである。

私の日記を愛読しているというその男は、俳句も作るというので、

http://blog.goo.ne.jp/daiha-do4989

早速ブログを見てみる。

銀河は波立つ深呼吸するとき daiha-do4989

なるほど。悪くないけどね。

前衛俳句だと言っていたので、たぶんそうなんだと思う。

アタシの俳句については、山頭火に系統しすぎていて、句がつまらないのだそうだ。

別にアナタにとってつまらなくても、全く構わない。

俳句は職業ではないし、アタシの楽しみの一つであり、人に見せるためのものでもない。

俳句というのは、実は、日記のようにコツコツと作って、自分で削り落として、練って練って、やっぱり、公開しないというのが、ホンネのところ、正しいと思う。

アタシは、WEBが日記代わりなので、たまたま公開することがあるってだけで、別に、どうしても読んで欲しいってことではない。

前衛の俳句は、進みすぎると、例えば、前衛的なコンテンポラリー作品のように、よく解らなくて、みんなに嫌われてしまう。

いや、ま、俳句に置き換えれば、オシオッサさんの作品も、そんなもんなんだろう。

嫌われるぐらいの作品になれば、上等だよ。

それは、何らかの毒を吐いて、そうして、ある種の主張を発しているということに間違いはない。

今日は、コンテンポラリーアートの話になる。

彼の同行者は、ときどき、daiha-do4989にツッコミを入れたり、おとなしく話を聞いたりする人だったが、コンテンポラリーへの理解は皆無だった。

そういうことなので、アタシは、「なんだかよく解らない」と思ったら、もう、アナタは、負けているんですよ。

ジャンケンみたいにね。

それでね、今度は、「よく解らない作品かもしれない。驚かないぞ」

という気持ちで作品を見ますよね。それでも驚いてしまう。

それがね、作品の力なんですよ。

などという解説。

付き添いの殿方は、おおいに納得し、今度は、何があっても驚かないようにっていう気持ちで。オシオッサさんの作品を見る。

彼の感想。

それほど、驚くってことでもなかったですけどね、、、、。

そうして、アタシが、彼女の作品の、ホントウの意味をくどくど説明すると、ハッとして、この作品のことは忘れません。

などと言い、現代アートの奥深さについて学んだのであった。

「今日は、本当にいい東京の記念になりました」

というお礼まで言われ、随分と楽しい思い出だったに違いないとアタシも確信するのであった。

なぜならば、彼は、これから、ゲンダイアートに触れても、それが、ゲンダイ作品だと理解することができて、楽しさ倍増なのだ。

記憶に残るかどうかという話と、作品の力。

それを演出するというのが、ゲンダイアーティストの仕事だということになる。

おじゃら画廊

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