◆◆◆ 1343 ★ 書の写真を撮る ◆◆◆

 

2009.6.16 更新

この作品は、カエル友の会の展覧会に出品しようと思って描いたんだけど、大きすぎて送れなかったんだよね。

今は、郵便局に掛けています。

皆さん、「今回は、絵じゃないんですね」

などという感想。

ま、絵と大差ない。

筆で書くし平面だし。目指すべき場所は、実の所、そんなに違わないはずなのよ。

通りがかりの書家の人との会話の続き。

「現代の書というのは、アタシは、読めなくてはいけないと思っているんです。見る人は、皆さん字が読めるわけですからね。その人達に、読ませるための書でなくてはならないですよね。

読めない字は、どんなに美しくてもスルーされるんです。

ところが、読める書は、まず、文字を読もうとするんですよね。特に、この詩には、力がありますからね、そうすると、最後まで読むんです。」

「書を扱う画廊がね、最も大切に考えている部分というのは、実は、筆跡なんです。

手本を渡されて、どんなに練習しても、自分の筆跡というのが出てしまいますよね。

その、筆跡を隠そうとするのが、公募向けの書なんです。

理由は、センセイだって、生徒に自分より上手くなられると困る人もいますからね。

卒業されても困りますしね。

ですからね、次々と手本を渡し、ダメ出しを繰り返す。そうして何年も過ぎてゆく。というのがフツーです。

ですけど、そういうことに、疑問を抱いた人は、そこから出て、自分の書を書こうと思い立ちますよね。

そういう気持ちになるかどうかです。

自分の書には、筆跡というのがついてきます。

扱うほうにしてみれば、強い筆跡で、他の人がニセを作れないぐらいの書の方が、扱い易いですからね。」

なるほどぉという顔をしながら、千住にはじめて来たという、その人達は「また来ます」

と行って、街の中に消えてゆくのであった。

はぁ。オジャラよ。しゃべりすぎだろう。

アタシは、書家になりたいワケではないので、書は、趣味として楽しく作ることに決める。

そうすると、果てしなく楽しい。笑。

筆運びの練習にはもってこいだし、出来上がれば、皆読んでしまう。

ちゃんと、台紙に貼って、紐をうしろに掛ければ、もう、立派な作品なのだ。

落款忘れているし。

まあいい。落款などなくても、もう、筆跡がアタシの字になりきっている。

昔は、メニュー書きのバイトでも来ないかと、もう少し丸く、上手い字を目指していたが、もう、それもやめることにする。

アタシは、アタシの作品を作る。

それが、アタシの仕事なのだと、最近、やっと自覚できるようになった。

そのことは、ある種の進歩なのだと思う。

泣き顔の空。

これを雨と読ませるのであれば、この書も、コンテンポラリーということになる。

しかも、表装に失敗し、ヨレヨレ。

現代アートらしいといえば、現代っぽい。笑。

コンテンポラリーへの理解も、更に深まっているということになる。

そうして、別に、そういう意識をして作らなくても、そういう作品が増えてきていることも、大いにオッケーという領域。

テレビで、別府の現代アーティストの展覧会の番組を見る。

アタシは、あーいう場所で、いつか作品を発表する日が来るのだろうか。

こういうときには、金が無いのが腹立たしい。

どこにも行けないし、何処にも出品できないのだから、それが腹立たしいのである。

早くバイト探そう。

おじゃら画廊

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