◆◆◆ 1342 ★ 書の写真を撮る ◆◆◆

 

2009.6.16 更新

今日は、郵便局に行く用事があり、絵を取り替えようと、まず、あとりえに行く。

それから、去年描いた書を2点と、区展に出す予定の30号の裸婦をギャラリーに移動。

書は、板に張り付いているのだが、ヒモをつけられない状態なので、紐をつけられるよう、少し手を加える。

それから、写真を撮影。

テラコッタ塑像、唄う女も一緒に撮影してみる。

去年、足立区の区展で、展示中に落ちて、怒られてしまった作品。

また思い出しちゃうよね。

作品というのは、そういう、何か、思い出を引き出す力がある。

そうして、この作品は、ちゃんと撮影していなかったことも思い出す。

空という字が泣いているように見える。

だから、雨。

産業センターに展示させていただいていた塑像

R.MUTT氏の肖像

も、持って帰ってくる。

この作品は、裏表がそれぞれ顔になっている。

区の写真展には、この、自分の塑像と書がコラボしている作品を出そうと思う。

去年は、自分のプリンタでプリントしたんだよね。

プリント屋さんの情報を見ると、4500円以上はかかるので、やっぱり、自分でプリントすることにする。

プリンタは持っているし、印画紙を買えば、多少クオリティーは落ちても、安く済むからである。

ま、一年に一枚ぐらい、写真作品を残してゆくというのも、悪くないんだけどね。

どうせ売れないからね。

写真って、絵の原価と比較すると、何て高い道楽なんだ。

こちらは、室生犀星の詩の上で唄う女。

唄っているのはカエルの唄?

どの写真を出すか悩むなあ。

文字情報というのは不思議なもので、

とりあえず読んでしまう。

詩の力が高いので、どんどんと読んでしまう。

そうして、読めない部分は気になる。笑。

アタシが、外で書や絵の撮影をしていると、通りかかりの人が、足を止める。

どうやら、書を作られている方のようで、外で長いこと眺めているので、折角なので中にどうぞと、電気をつける。

それから、書の、遠目の陰影と、カスレの話をする。

オジャラ「カスレがちゃんと作れないと、書の陰影ができないですからね。ボン・キュ・ボンという風に、遠目に見て、抽象画のようになっていることが大事なんです。どうせ、近寄っても、書は読めない場合多いですからね。もう、評価は、遠目の抽象表現っていう部分もあるんですよ」

こちらは、R.MUTT氏の肖像の塑像の正面。

この作品は、初めの頃に作られた割には、陰影がシッカリ作れていたと思う。

R.MUTT氏は、デュシャンが作り上げた架空の人物である。

この写真にしようかなあ。

ある程度、文章が読める方が、見るほうは楽しいからね。

アタシの、書に関する説明は続く

オジャラ「この、左端の方、失敗しちゃったんですよね。完全に、「か」の下は、失敗を消しているのが解る。

書いていると、あと少しっていう油断ができてね、それが、結果につながっているんです。

公募展の場合、審査員は、そういう、気のゆるみも見てますからね。

例えば、三行目までピシっとできているけど、最後だけ乱れたりしている書ってあるでしょう。

そういう、精神力みたいなところも見ているんです。

でもまあ、アタシの書は、書家の書ではありませんからね。こういう、心の緩みみたいなものも表れていても、いいかなと思いますよね。説明すると、皆さん、ホつとしますしね。」

おじゃら画廊

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