◆◆◆ 1340 ★ 日動画廊の常設展 ◆◆◆
2009.6.11 更新 折角日動に入ったので、地下の常設展も拝見。 風景・静物・花などの絵で構成されていて、人物は、ほんの僅か。 アタシは、額縁屋のオヤジの壁面の絵のことを思い出した。 大差ない。笑。 違うのは、描いた人が有名かどうかの一点。 なるほどぉ。 アタシのアートに対するも、随分と理解が進んできた。もともと、画家の名前などの知識が皆無なので、先入観なく、画力だけで鑑賞できるというのは、幸せなことだと思う。 前にも日記に書いたけど「ああ、なんか、小さいのに力がある水彩画だな」 と思って近寄ったら、クレーの水彩画だったことがあり、絵の力というのは、隠すことができないものなのだと思わされた。 たとえば、絵が良くて、画廊付きとなったとしても、画廊的には人気のある時に、大量に売ってしまおうみたいな勢いで、画廊もどんどんと描かせるので、絵が荒れてしまうことがある。 正確には、ほとんどの作家がそうなってしまう。 ピカソやミロであってもそう思う。 絵が売れるということは、絵が荒れるということを意味する。 直木賞作家や、芥川賞作家なども、同じ理由でムリに文を書かせて、出版者が、作家をみんな潰してしまうのに似ている。 良い絵ばかりを残そうとすれば、創作に時間がかかりすぎて、結局儲からない。 時間がかかるという理由から、単価が上がれば、絵の売上げにもブレーキがかかる。 かといって、荒れ始めれば、それはそれで、買うほうはすぐに気づいて、もう、誰も相手にしなくなってしまう。 そういう世界なのだ。 |
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展示室には、三岸節子の油彩が置いてあった。 東郷青児と、熊谷守一は、パッと解る。あとの人の絵は、名前を見ないと見分けがつかなかった。 みんな、名前を見て買うからね。名前しか見てないのかもしれない。 買うほうがそんなレベルだから、贋作ばかりを作る作家や画商がでてしまう。 こちらも、贋作を掴まされないように、別な準備をしなくてはならない。そういう市場なのである。 三岸の作品の話に戻ると、硬い木の木製枠に、バティックのマットが誂えてあり、こういう額は初めてみた。 絵は、よくよく見ると、洋紙に描かれたもののようで、長い年月の間に、表面の油が吸われてしまい、ツヤツヤとした画肌がなくなっていた。 それはそれで、額に合っているようにも思えたし、あんなに強い絵なのに、額とマッチしていて素晴らしいと思った。 バティックならイッパイ持ってるからな。 時間のあるときに作ってみよう。 |
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画廊の事務室の扉が少し開いていて、大量の図録が並んでいた。 ああ、この大量にある図録を見て、仕入れるときに、真贋を確認しているんだ。 図録は大切だよなあ。 これがないと、特徴のない作品しか残せなかった作家さんは、その人の作品なのかどうかもプロですら確認できないのである。 作家なのであれば、レゾネ的作品集でなければならないということになる。 レゾネかぁ。 ドローイングは5000枚以上あるからね。ムリかな。 コラージュも、最近は、エダマメの網に入れられてるし。これって新作なの? こっ、これって、作品? ゴミにしか見えないと大評判。しかもの秤の上に乗せられているし。どこに行ったかも不明。 油彩と、銅版画、陶芸作品はなんとか頑張れると思う。@レゾネ 笑。 |
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コラージュ作品かぁ。どうすればいいんだろうか。 去年は、画廊の留守番の最中、ずっとコラージュを作っていて、大量にできちゃったんだよね。 まあ、イイとも思えないけど、大竹伸郎さんの、紙袋にクレヨンで描いた素描なんかが売られていたことを思い出し、ときどきは作っておこうと思ったりもする。笑。 そういう理由なの? ま、イロイロな理由はあるんだけど、よく考えないでいたら、大量にできちゃって、まだ整理をしていない。 来年になる前に、整理して数えておこう。 少なくとも、アタシがつけた、エディションがついているというのは、大切である。 |
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