◆◆◆ 1334 ★ 売れた絵の考察 ◆◆◆
2009.6.7 買われていくのは、どの絵も、私らしい絵である。 毅然としたステッチが、鮮やかな色の面を引き締める画風で、何枚か見れば、素人でも、次の絵を見間違えない。 絵を描く人であれば、この程度描けると思い、自分でも、きっと試してみるに違いないのだが、そんなにカンタンには作れない。 私にしか描けない作品ということになり、そういう絵が描けるということに感謝をしなければならない。 ピエロの絵にしても、薔薇の絵にしても、そういう絵しか売れないわけで、それはそれで、仕方がないとも思えてくる。 ロバート・ハインデル(踊り子の絵を描く画家)の番組を見たけど、彼も、踊り子の絵から、踊り子を排除し、ダンスフロアの絵ばかりを新作として発表したら、絵がちっとも売れなくて失望したらしい。 ま、そういうことだよね。 画家がいいと思っても、見るほうがついてこれなければ、それは、時間をかけて慣れてもらうか、前の絵に戻るかのどちらかしかない。 |
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ある意味、アタシも、新しい絵が不評なことに対し、ある種の失望を抱いているのだと思う。 そういう意味で、絵を描くことにアタマにきて、暫く描いていないのだ。 それ以外、細かい金の話で忙しかったということもある。 油彩が2枚売れただけで、LA Ojaraの出版が物凄く近くなるわけで、アタシの生活というのは、何て低コストなんだろうと思わないわけにはゆかない。 ピエロの額も出来たので、近々送る予定になっていて、そうすると、また、少し入って来る。 目標金額達成なの? はぁ。 こんなささやかな資金繰りにも困っていたということに、愕然とするし、絵が売れると、次の絵を描こうという意欲に繋がるわけで、画家のモチベーションを支えるのは、絵の具代が稼げるかどうかということになる。 |
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ギャラリーになってから、アトリエで展覧会をしていたときほど、実は、絵が売れなくなっていた。 それは、アタシも、ムリに売ったりしなくなったということもある。 アトリエのときに、ムリに売っていたということでもないんだけど、更に、やる気が無くなっていた。みたいな。 ギャラリーになって、やる気がなくなったということではない。 ムリに絵を売ると、売られた方にも心に傷が残るのだ。あくまでも、欲しいという理由から、絵は買われなければならない。 店員さんで、熱心に服を勧めてくれるお店もあるけど、そういうお店には、次からは近づかないというのが人間の心理である。 絵というものは買いに来るほうも、慣れるまで、時間がかかるってことだと思う。 一枚を買ってしまえば、次の絵を買うというのはそんなに怖くなくなるんだけどね。 しかも、ギャラリーの敷居は高めにしているし、アートに関係ないコーヒーの人は、近隣のMAPを渡し、近くのギャラリーに行ってもらうことにしている。笑。 |
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昨日は、ペンキ塗りで忙しかったからね。 到底、ペンキだらけの手で、お客様に、コーヒーを入れる気にもならず。それは、陶芸の日も同じ。笑。 そういう、悪環境であっても、ウチでコーヒーを飲みたいというアート好きもいて、そういう人は、特に断らないんだけどね。 アタシの作品は、街のあちらこちらに飾らせてもらっているので、みんな、絵に慣れてきているというのもある。 「あの絵を見たいんですけど」 みたいな人が、やっと、ギャラリーに来るようになったということになる。 2年もかかってしまった。笑。 ま、たまたま入って来る人もいるけどね。 「どうしたら、こんな雰囲気の画廊が作れるんですか?」 と聞かれることもある。 別に、雰囲気まで想定して設計をしたわけでもない。 ご縁のあった物件を、できる範囲で改築し、ギャラリーとして、やむなく使っているだけである。 どちらかといえば、アタシのアトリエという色彩も強く、入り口の前では、「誰も入ってこないで」的に、ペンキ塗りが繰り広げられているのである。 庭木などを燃やした釉薬作りでも、通る人は、一体何をしているのか気になって仕方がないのだが、アタシが入り口付近でデンとふさいでいるので、入って来るということもできない。 あ゛あ゛。なんというギャラリーだよっ。 こんなに散らかるというのは想定外だった。 掃除しなくちゃ。 |
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