◆◆◆ 1307 ★ 片岡球子の番組を見る ◆◆◆

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2009.5.16

片岡球子のテレビ番組を見る。

以前にも見たことがある、富士山をスケッチしている映像が流れる。

青い太マジックで富士山を大胆にベタ塗りし、その上から、白い油彩絵の具で、指で、雪後を塗りこんでゆく。

そうして、その下絵を元に、本画にするのだと思う。

もしくは、リトグラフにしたりしたのだと思う。アタシもやってみよう。

この前、画廊に人が沢山きて、絵の話で盛り上がった。

木曜日も、金曜日も、ひっきりなしに人が来て、忙しかった。

そうして、確か、金曜日に、横山大観や何かの有名作家の話になる。

「アタシもね、横山大観ぐらいにはなりたいです。(実は、この、横山大観というのは、アタシの言い間違いで、この場をお借りして訂正したい。汗。彼のことは、まだよく理解できていないからである)

いや、まあ、梅原龍三郎とか、中川一政とか、そのぐらいには。、、、、片岡球子の域はムリと思いますけど、、、、」

なぜか、ここで笑い。

笑う所ではないと思うんだけど。

おじゃらはこの絵を出品しています。

そうして、折角画家を志すっていう決意をしたのだから、そのぐらいの気概がないと、一流にはなれないよね。

という話で、その場にいた皆さんは、納得したようだった。

そう、右のような絵を、大量に描いておけば、それはそれで、もっと安定してきて、アタシの作品でございますというオーラに包まれ、適度に作品も売れ、アタシも、今程、金に困らなかったに違いない。

だが、まあ、来年も再来年も、絵を見に来た人は、みんな今年と同じに見えるなどという感想を持たれたのでは、創作者として片手落ちである。

新しい画風にも挑戦する。

今まで、誰も見たことがない表現を手に入れる。

そういう、創作への挑戦と、軌跡こそが、私の仕事なのだから、仕方がない。

昨日に戻るわけにはゆかないのだ。

河井寛次郎の、「新しい自分が見たい、仕事する」

という一言が心に残っている。

私の創作活動は、まだ始まったばかりなのだ。

そうして、右のような絵が大量にできてしまったため、ジャマで仕方がない。

ときどき、画面から剥離するし、

手荒に扱っていると、絵が痛んでしまう。

早く、誰か、よさが解る方が買ってくれないかという気持ちでイッパイである。

人の手に渡れば、絵というのは大切にされるのだ。

アトリエには、売れ残った絵だけが残され、たとえば、遺族がいたりした場合には、売れ残りの絵で、記念館が作られたりするから困る。

笑。

まあいい。記念館になれば、絵は、半永久的に、情報を発信しつづけることになり、その絵は、バラバラにならずに、沢山の人が見てくれるという新たなる命が吹き込まれるからである。

アタシには遺族がいないわけだから、生きているうちに、良いところに出して、ちゃんとした筋の人に持ってもらうというのが、絵にとって、もっとも幸せな話になる。

作家が死んでから絵の値段があがったところで、画廊が儲かるだけなのだ。

生きているうちに、安くても現金化して、そうして、絵の具を買う。

この繰り返しで、アタシは幸せだ。

とある話がきっかけで、オットに、ギャラリーはもう閉めたらどうかという話をもちかけられる。

もう少し、アタシの絵が売れる予定だったけど、全く売れなくなってしまったのが、その原因と思う。

画風が大きく変わってしまい、見るほうが驚く絵になっちゃったから、仕方ないんだけどさ。

不景気で、デザインの仕事も尻つぼみだし。

めんどくさい話もいくつもあって、少し長期休暇を取りたいという気持ちもある。

外で集中的に働いて、少しお金を稼ごうという話である。昔ほど稼げるとも思えないが、多少であれば、稼げなくもないだろう。

閉めるとしたら、いつにするのか考えないとな。

10月までは、やりたいけどね。

11月からは、実は、あまり参加者もいない状態で、考えるのも面倒って気持ちでイッパイなのだ。

おじゃら画廊

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