◆◆◆ 1293 ★ 中原淳一展 ◆◆◆

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2008.3.27.更新

白州邸からの帰り、中原淳一展に流れる。

500枚の表紙絵の原画や、自作の人形、彼のデザインした衣装の複製、彼の意思を伝える文章などが、ギッシリと並んでいて、充実した展覧会だったと思う。

蒐集家のSさん、いつも、チケットのお心遣い、ありがとうございます。

Sさんは、特に、1920-30年代のアーティスト関連の蒐集をされており、彼の人形も所有されているのだそうだ。

なんだか、高そうだよね。

6歳のときに、父親が亡くなって、母がキリスト宣教師のメイドとなり、住みこみで教会で育ったのだという。

婦人に囲まれていたこともアリ、小さい頃から、人形を作り、19歳のときには、デパートで、竹久夢二を継ぐ若手新人として、人形展が開かれるほどの人形の才である。

デパートは、趣味程度の作品では、展覧会は開いてくれないのよ。笑。

その会場で、出版者の人から、イラストを描いてみないかという誘いを受け、それまでの油彩から、軽いタッチのイラストがスタートしたというストーリー。

戦争を挟み、終戦の翌年、自らも雑誌「それいゆ」を出版。

相当なる意志を持ち、戦後の殺伐とした時代であっても、窓辺に一輪の花を飾るように、それいゆを読んで欲しい。

というメッセージを送り続けた人であった。

雑誌表紙イラストの話になれば、彼の絵というのは、初期は、夢ニ風色が強かった。構図なんかも、強い影響を受けている。

そのあとは、ヘプバン風というか、浅丘るり子風というか、まあ、そういう、眼が釣りあがった、意志を感じさせる女性画にシフト。

美人画ばかり描く作家のジャンルというのがあって、日本のアートマーケットというのは不思議だと思う。

まあ、浮世絵が、江戸時代から流行っていたことを考えれば、美人画というジャンルは、無視できないのかもしれない。

作家の幅という話では、真鍋博さんとか、谷内六郎さんなどには及ばない。

でもまあ、現代美人画というか、コミック少女の先駆者という意味では、校正の少女マンガ系の作家さん達に与えた影響は、測り知れない。

作画について、考える間もなく有名になってしまったから、仕方の無い部分もあったと思う。

それに、彼の作った服や、雑誌の普遍性というものは、美人画とはまた別な域にある。

今読むと、少し説教臭いと思う部分もあるかなあ。

宗教的な色彩も感じなくは無い。

それでも、洗練されたブックデザインや、多数のイラスト、シンプルな色数なのに、モダンなページのデザインなど、見ても見ても、勉強になる。

そういえば、デパートのグッズ売り場の、店員さんの数といったら、スゴかったよね。

新しい本も多数出版され、服やコサージュ、皿やカップ。中原テイストの品々は、飛ぶように売れていた。

白州正子好みと同じようだと思った。

集客、グッズの売れ具合、子孫のガンバリ、成功しているイベントというのは、作家の才能だけではないということになる。

出版物というのは、やはり、後世に残るしね。

アートイベントの集客について考えさせられた。

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