◆◆◆ 1285 ★ 河井寛次郎風 / 中川一政の番組 ◆◆◆

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2008.3.16.更新

あとりえを居抜きで買ったときに、花器がいくつも出てきた。

古い品で、来た人にあげちゃったり、モノいれに使ったりしていたのだが、ある日、蒐集家のSさんがいらしたときに、「あれって、寛次郎の作品じゃないかしら」

とおっしゃるので、アタシもよくよく作品を眺めてみる。

確かに、彼らしい作風の花器である。

先日、陶芸に詳しい八木美術さんに、その話をすると、「箱はあるんですかね、箱がないとね、誰のか解らないんですよね。息子も、孫も、寛次郎風を作っていますからね」

という答え。

なるほど。

確かに、そういうことはあるかもしれない。ファミリーだからという特権。特に、彼は、作品にサインを入れなかったからね、評価が曖昧になる。

買うほうには困った話である。

いやまあ、別に、寛次郎風というだけで、構わない。

花を引き立てる美しいフォルムは、きっと、ファミリーの作に違いないというオーラ。

たとえば、贋作でも、仕入れ値はタダなんだから、どちらでも構わない。

庭に咲いたバラでも挿して、絵の一枚でも描こうというだけで、それ以上でも、以下でもない。

もしかしたらホンモノ(で高い品)かもと思っている時間が、人生の至福といえなくもない。

孫の作だから、二即三文です。みたいな話は、決着をつける必要もない。

ああ、なんて庶民なんだ。

中川一政の番組を見る。

アタシが、まだ、絵を志す前、会社の旅行で、彼の美術館を訪ねたことがあった。

武者小路実篤の書なども一緒に飾られていて、観光地の中にある、こじんまりした、良い美術館だった。

が、アタシが何よりも驚いたのは、その絵である。

「何て汚い絵なんだろう」

彼の絵は有名で、他が真似できる域を超えているため、まあ、いつ見ても、汚いんだけど、中川の絵だというオリジナリティーは感じることができる。

それがいいとか悪いとかではなく、画業の最低条件だと思う。

素人の見た目で、誰の絵か識別できるぐらいに、顕著なオリジナリティーをもてないものは、まず、それを持てるような作風を目指さなくてはならないということだ。

番組では、画商が、中川に、「バラの絵は良く売れるから、沢山描いて下さい」と、薔薇の花持参で、あとりえを訪ねたという情景が流れていた。

満寿夫も、著書に、「バラさえ描ければ、食べてゆける」と書いていた。笑。

そうして、ついに、梅原のバラの絵まで持参して、「こういう絵を描いて下さい」と頼んだのだそうだ。

アタシのアトリエにも、梅原のバラのポスターが貼ってある。

たぶん、アタシのアトリエにかけてある絵の中で、版画を除いて、安っぽい印刷物は、その絵一枚きりである。

ホンモノは買えないからね。

いつか買ってやるぜ。

中川のバラの花は、欲しいと思ったことはない。

だけど、あるときに、イロイロな有名作家さんの絵がズラリと並んだ会場に、大量のオーラが出ている絵があって、名前を確認したら、、中川の絵だったことがあった。

画力というのは、欲しいとか、欲しくないとかいう場所とは、別な場所にある。

中川は、それ(画力)をムーブメントと呼んでいたようだ。

絵は生きていなければならないのだそうだ。

生きた絵かぁ。

アタシは、イロイロなことに頭にきていて、最近は絵を描いていない。

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