◆◆◆ 1280 ★ 伊藤深水の番組を見る ◆◆◆

 

2008.3.5.更新

1000坪の敷地に、50畳のアトリエかぁ。

なんかスゴイね。

作品はそれ以上に凄いけど。

素描の力がハンパじゃないよね。

日本画というのは、というか、正確には、有名な日本画家といわれる人の絵は、本当に鍛えられていると思う。

片岡球子センセイは例外としても。

鍛えられた線というものは、絵に必ず出てくるのだ。

だから、アタシは、ヌードの絵を買う。

ごまかしが効かない絵だからである。

下手でも、ヨイものを持つ作品がある。

それが、画力であり、絵に対する思いである。

昨日、駅の壁面に、おとうさん・おかあさん頑張れと書かれた、幼稚園児の絵が展示されていた。

背景マックロもあり、縦長に電車が走っていて、小さくパパが描かれている絵もある。

洗濯物をたたんでいるママの絵とかね、

どの絵も、対象(ぱぱやまま)に対する愛に満ち溢れていて、勉強になった。

子供の絵を伸ばしたいというママは、絵の道具をいつも身近に置いてあげるということと、描いた絵のストーリーを、熱心に聞いてあげて、褒めてあげるということだと思う。

子供が絵を描こうというときには、必ず物語がある。

宇宙に飛び出していくとか、家から買い物に行って、服を買うとか、猫だとか、犬だとか。

それは、かならず、被写体がある。

表現が稚拙なので、大人には、なんだかよく解らないだけで、そこが、大人の描いた子供のような絵と、違う部分なのだ。

よく見て描くと、絵というのは、それなりに描けてくるものだ。花や動物を描かせるときには、絵本や、写真を見せて、もう一度、似たように描いてみてとお願いすれば、もう一枚描いてくれる。

そういうことの繰り返しにより、単純な形を捉えていく力は、物凄く上がってゆく。

伊藤深水にしたって、絵を描く子と、近所中で評判なぐらい、小さいときから絵ばかり描いていたらしい。

鏑木清方という日本画家に師事し、先生は、あまりの才能に、絵の月謝 月額1円を免除し、その金で、彼を夜学に通わせたのだという話が流れていた。

才能というのは、人の心を動かすものなのだ。

そうして、清方が、何故、深水を夜学に通わせたのかといえば、絵で成り立たなかったときの保険なのだと、番組では語っていた。

絵の道というのは、絵の才能だけではないという、厳しい世界。

才能のある人など、大量にいる。

その中で、時代に求められている絵が描けるのか。

イラストレーターとか、挿絵画家というのは、そういう仕事ということになる。

だけど、生きるのも大変だということが、清方には理解できていたということになる。

美人画というジャンルは、ある意味卑怯だよね。

概ねが浮世絵のモチーフをリメイクした構図になっちゃうしね。

全く新しい絵っていってもね、人物というのは、眼が二つ、鼻が1つ、口が1つと決まっているからね。

それを超えることはできないという、制限のある創作ということになる。

同じような絵ばかり残ることになるし、それがいいのか悪いのか、アタシには解らない。

結果が良ければ、それでいいんだと思う。

深水に、自分の美人画を描いてもらうと、良縁が来るというのが噂になり、若いお嬢さんが、肖像画(色紙のようなものに、サラサラと)を描いてもらいに来たのだハウ。

忙しかったのに、そういうのを断らなかったというくだりは、笑った。

若い美人が、晴れ着を着て、向こうから画室に訪ねて来てくれるのに、断るはずがないよね。

一枚描けば、力が上がるもんね。タタ゜ってことはなかったと思うし。

第一、絵を描くのも早かったと思う。

彼の絵は、美術館にあるような本画は、特に力が入ってるけど、売り絵と呼ばれる、サラリとした完成度の作品だって、大量に存在しているのだ。

あったかくなってきたし、アタシも、久しぶりに、絵でも描くかな。

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