◆◆◆ 1268 ★ ベラスケスとゴヤの番組を見る ◆◆◆

 

2008.1.13.更新

ベラスケスとゴヤの番組を見る。

どちらもスペインの宮廷画家。

前にも、その筋の、レンブラントと、レオナルドダビンチと、ラファエロ(違うかも。正しい名前は、あとで思い出すと思う)

の番組を見たことがあった。

当時は、カトリック教会が、信者獲得のため、有名画家に依頼し、壁画や天井画、彫像などを作らせていたのである。

クライアントは、教会で、画家は、そのオーダーに応じて、作品を作ったということになる。

ベラスケスの場合には、それが、王家だったということになり、ゆくゆくは、城の内部の装飾だとか、人事にまで関わったという記録が残っているのだそうだ。

時代というものもある。

ゴヤは時代がもっと波乱だったこともあり、幸せな時代は長くはなかった。自分の絵の方針と宮廷が折り合わないという両方の要因だったと思う。

内紛、外部からの脅威などがあれば、絵など描いている場合でもなく、それまでの立場はなくなってしまうのだ。

まあ仕方が無い。

今も不景気であるが、いつの時代にも、不安定さというものは定期的にやってくるものなのである。

そういった、不安のエネルギーは、暴力的、破壊的方向に発散され、何もかも破壊されると、それ復興しようという経済活動に発展するから、人類というのは恐ろしい。

芸術性という面から見れば、ゴヤ圧勝。

プラド美術館に、ゴヤの部屋があったことは、やっと納得できるほど、芸術への理解が、正しく進んだということになる。

ゴヤをはじめてみたときから、理解に及ぶまで、20年もかかったことを考えれば、芸術という場所が、いかに遠いのかを示している。

ベラスケスの絵が悪かったということではない。

人間の本質に迫ったという一点で、ゴヤは、肖像画の範囲を超えているということだ。

ベラスケスは、肖像画家なのだし、彼なりの美意識は結果に現れている。

王としての、下々に示すべき、人と成りを備えた、後世に残すべき傑作という点では間違いが無いし、それ以上は、入り込む余地もないということでもある。

ルノアールも、肖像画の絵が多いが、被写体を見ながら絵を描くということは、絵は、モデルの描写にある程度忠実にならざるを得ない。

もしくは、静止している作品を描くわけで、躍動感や瞬間表現というのは、別な技術を用いて、絵の中に入れ込むという話になり、高度なのだ。

どっちにしたって、まだ、趣味でだって、絵を描いていない頃に、スペインを一ヶ月も旅して、毎日美術館三昧だったという事実は忘れがたい。

小さなスケッチブックと筆ペンを持って、毎日、あちらこちらの美術館をぶらぶらし、サンドイッチを公園の片隅で頬ばった。

そのときに、画家になる決意をしたわけでもなかったし、その後、趣味程度に絵を描くこと決めたアタシが、今や、ゴヤの芸術性について解ったような話を書くのは、全く驚きである。

別に、全部が解ったということでもない。

ただ、何故、彼の作品が優れていると評されているのかは、客観的に、理解でき、受け入れられるだけの情報を得たということになる。

一昨年求めた、ロス・カプリチョスという、彼の銅版画集は、ギャラリーに置かれ、絵の解説をするときに、ちょくちょく使う。

人間の本質というのは、現代であっても普遍なのだ。

ベラスケスが宮廷で仕事をしていたときに、ルーベンスが訪ねてきて、二人とも、テッツアーノに影響を受けたという話で盛り上がったのだと、テレビで話していた。

ルーベンスの絵というのは、躍動感があり、華やかだ。

ベラスケスの絵には、動きというものが不足している。

まるで、写真を見ているかのような構図の絵であり、まあ、ゴヤの方がスゴイというのは、その当たりの結果の違いなのだということになる。(アタシ的にってことで、他の人とは考えが違うかもしらん)

それでも、ピカソは、ゴヤよりも、ベラスケスの絵のキュビズム化という作業が気に入っていたみたい。

マルゲリータ王女は、カワイイもんなあ。アタシも描いたし。

また描こうかなあ。

3歳の頃から、別の国の王子と結婚することが決まっていて、確か20代かそこいらで、若死にしたんだったと記憶する。

王女の生活かぁ。

篤姫見ても、結構大変なんだろうと思わないわけにはゆかない。

プライバシー無し、結婚相手を選択する権利なし。

飼い猫は、金の首輪を欲しがったりはしないが、王女ともなれば、金はかかるに違いない。

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