◆◆◆ 1264 ★ 三井寺の番組-2 ◆◆◆
2008.1.4.更新 三井寺には不思議な仏教道具が大量にあるのだそうだ。 是非行ってみたい。 京都や奈良を旅して、風景画などを油彩に仕立てたい。 日本の美しい風景というのは、自分の絵で残しておきたい。 そうだよ。 アタシにしか描けない絵というのは、あるはずなのだ。 ヤマシタキヨシ先生みたいに、タダで握り飯をほどこしてもらいながら、お世話になった人に絵を渡しながら旅をするというのをやってみたい。 そのあと、江戸時代の小物の紹介番組を見る。 伝統工芸系の簪とか、根付とか、てぬぐいとか、キモノの柄とか、そういった全体的な話を、ピピっとしている番組で良くまとまっていた。 三井寺の仏像の不思議さもそうだけど、その番組でも、江戸時代の美意識というのは、隠れたところにあると紹介していて、それが嬉しかった。 隠れた柄の中に、粋とか、暗号なんかが隠されているというのである。 てぬく゜いのデザインを研究したときにも、歌舞伎役者が配る名入りの手ぬぐいには感激したものだった。 手書きのバティックなど、こうなると、何の芸術性も感じない。 |
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そうして、「隠れた暗号のような、暗黙の常識を楽しむ」 という文化の、なんと成熟していることかと、改めて思わされる。 別段、今の人の文化レベルというのが低いということではない。 逆に、そういうものが根底に既にあって、今の美意識というのは、その上にあるってことなんだと思う。 だから、にわか画家の描いた作品などに、心を動かしたりはしないのだ。一般の人達の美意識は、作る側よりも、もっと、高い所にある。 戯作者の山東京伝という人は、てぬぐいのデザイン本を作った人でもあるんだけど、簪やなにかも手がけていたのだという。 いわゆる、ブランドというのは、江戸時代からあり、小物のデザイナーが存在していたということになる。 櫛のデザインは、表と間、裏が一枚の絵になっている。 「返し文」 というスタイルらしい。 前から女性がきて、ああ、いい櫛(女)だと、男が振り返って女をもう一度みたときに、櫛の裏側にも絵が続いていて、粋だということになるらしい。 なるほど。 |
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そうして、日本の美意識というのは、小さい世界に凝縮されているんだと思わされた。 掛け軸にしたって、屏風にしたって、小さいスペースで保管が可能。 櫛や簪はデザイナーブランドで、町内ごとに、町の意匠があり、祭りの半纏に染めるわけだからね。 小紋の職人さんに至っては、 「もう、意地で、どこまで小さい模様の、型紙を作れるか」 とか、 「細かい柄をつなぎ目がバレずに染められるか」 というように、各人の意地の張り合いが、細かい仕事の結果につながったという解説。 なるほどぉ。 笑ったよ。 アタシがテレビで見たことがあるのは、小紋なんだけど、模様が良く見えない。よくよく見れば、物凄く細かい模様が全体にビッシリという布地。意味ねぇ。みたいな。でも、伝統工芸展で賞取ったりしてるんだよね。 江戸小紋の伝統芸能の根底は、意地の張り合いだったのか。 意地というのは、こういう部分に発揮されると、文化が成長してゆくわけなんだ。ははーん。 |
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特に、櫛の造形の趣き深さというのには、本当に心を動かされた。 ああ、きっと、当時は高価な品だったに違いない。 ブランド品だからさ。 だから、ブランドバッグとかいう名前に、日本人は弱いワケなのかぁ。 もう、江戸時代から続いた遺伝子だもん。 避けることはできないということになる。 ま、既製品と比較しても、和の小物というのは、手作りの入魂品だからね。 日本人というのは、贅沢だったんだねぇ。 そうして、「表立って、直接的な表現をしない。隠れたモノを楽しむ」というデザインは、俳句そのものだわぁ。 俳句もちゃんと作っていないからなあ。 LA OJARAには、いくつか入れようと思う。 最初は、雑誌的な色合いを強く出そうと思っていたけど、自分の作品がきちんと伝わる作品集として再編集しようと思う。 その前に、2月からのバイトを探さないと。 |
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