◆◆◆ 1263 ★ 三井寺の番組 ◆◆◆

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2008.1.4.更新

大晦日まで仕事をし、

更に、2日から仕事。

今年は忙しい。

仕事というのは、全くないこともあるわけで、納期というのは、待ってはくれない。

年末、恒例のおでんを仕込んだきり、あとは、正月らしいこともなく、掃除もそこそこに仕事ばかり。

納品が終わったら、1月は静かに過ごそう。

パソコンばかりやっていると疲れるので、食事を取りながら、撮りためた美術番組を見る。

おおっ。天台宗。三井寺。

うっ、腕が6本ありますぜ。

足が二本なのにだよ。

というシュールさ。

それから、どうみても、白人さんがモデルの坊さんの袈裟を着た仏像などが、非常に珍しいなどという理由で絶賛。

まあ、外国人というのは、目鼻立ちが珍しいから、なんとなくご利益ありそうというのにあやかったに違いないよ。

どちらでもいいんだけどね。解説間違ってるんじゃないかと思う部分はいつもある。

フェルメールの番組を見ていたときも、黄色いコートのくだりでそう思う。

明らかに、モデルは別人だと思われる絵なのに、黄色いガウンを着ていた人は、フェルメールの奥さんだろうか?

などという話。

確かに、黄色いガウンは、奥さんの持ち物だったかもしれないけど、モデルさんは、明らかに違う人だと思う。

彼ぐらいの写実系の人は、書いている間ずっとモデルさんを置いているということも少なくない。

(写真が無かったという理由もある)

しかも、ほとんどの絵は、モデルさんにそっくりになってしまう絵の技量があるの。

ボッティチェリとかもそう。

だから、1枚の絵の中に、同じ顔の人物が何人か登場したときには、「ああ、モデルさんは、一人だったんだ」

と考えるべきなのだ。

イロイロなポーズを取らせて、その素描やなにかを使いまわすのよ。

だから、自分の所有している黄色いガウンを、イロイロなモデルさんに着せて、作品を作った。

という解説であれば、ある程度正しいと思うのだが、全部が彼の奥さんだったという想定は間違っているというのがアタシの意見である。

本人の手記以外、全てを信じてはいけない。

特に、絵を描かない人は、勝手に話を作り進めてしまうことがあり、番組を見ているこっちが驚いてしまう。

いいかげんなことを言うなよ。

そうして、もし、作者が、その絵や、まつわる出来事などについて、何も残していなかったのだとすれば、その方がずっと、見たときに、想像という力が働き、絵に引き込まれていくという実態もある。

こちらが、イロイロなストーリーを勝手に思い描くのは勝手だが、間違った話がホントの話みたいに、本や何かになって残されてしまうのはいかがなものかと思うことはある。

納期までに終わるかどうか心配だった仕事にも目処がつき、こうして日記の更新をする。

久しぶりだわあ。

テレビ番組を見ていないということでもなく、見れば、それぞれに感想や、影響を受けるものがあり、

出来る限りここに書き記したいと考えているのだが、時間が許さない。

今年、新しいバイトを探すのか、画廊業に専念し、収益を単体であげてゆくのか、絵の方を頑張るのか、まだ決まっていない。

不景気だから、絵を売るという筋は諦めて、皿洗いでもして、必要な経費を賄うというのが正しい道だと思う。

皿洗いの仕事も減っているんだろうか?

不景気だもんね。

この先、どうなるのか全く不安で仕方が無い。

おじゃら画廊

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