◆◆◆ 1244 ★ 横浜トリエンナーレを襲撃 ◆◆◆
銅板画作田富幸センセイのサイトはこちら/
今、文房堂のアートスクールで小口木版を教えてくださっている長島 充センセイのサイトができました。
2008.11.3.更新 一日休みができることになり、竜さんに電話。 明日は時間が空いているということで、かねてから襲撃予定の横浜を攻略。 馬車道駅で下車。改札近くのチケット販売場で バンクアートと、横浜トリエンナーレのセットチケットを2100円でゲット。 作田先生から廊下の作品は40分待ちと聞かされていたので、朝一で赤レンガ倉庫に向かう。 3分ぐらいの待ち時間で、作品を見ることができた。 唯一の誤算は、後ろからついてきたオババが、作品のことを理解できず、どんどんとせかされて、ゆっくり作品を鑑賞することができなかったことである。 ホントにウルサイオババ共で、楽しむ気がないのなら、来るなと言いたいぐらいだよ。 そうして、そういう、理解が不足している鑑賞者の観察こそが、現代アート展の最大の楽しみである。 展示会場は、『常識の外にある現代作品』と、『鑑賞者の常識』との温度差について、考察する場ということになる。 それにしても、今回のは、一昨年と比較して、ワクワク感が不足していたよなあ。 |
|
ブタの肉を血だらけになりながら切り刻む映像とかさ、ムリに展示の中に入れる必要がないよ。 その映像が気持ち悪かったことしか覚えていない。 ガラスのお部屋では、人が踊ると聞いていたから、20分はまっていたけど、誰もでてこなくてガッカリ。 その部屋に入るまでに30分も並んだんだから、本当に、アタマにくる。 何が悪かったのかといえば、会場の人の流れに配慮しない展示ということになる。 たった4-50人の人が並んでいるだけなのに30分、40分待ちというのは、明らかに展示が悪い。 人が滞留しないように、もしくは、流れたい人は流れることができるように、ほんの少し気を遣えば、ムダな待ち時間はゼロになる。 たいして混んじゃいなかったのだ。 会場全体の広さを考えれば、ガラガラという表現が正しい。 展示にこだわりすぎ、鑑賞者の流れにまで心が行き届かなかった、悪い展示の代表ということになる。 |
|
美術会場の展示について考えたことなどなかったが、こんなに悪い展示というのも珍しい。 混んでいる作品にだけ人が集まるムードで、それ以外との差が大きすぎた。 どの作品を見ても良くわからず、解説も不足。 嫌まあ、別に意味などは無いのかもしれないが、国外のコンテンポラリー系の作家さんは、作品の意味を重視していると、ゴアサさんが雑誌記事に書かれていた。 もしそうなのであれば、その声が、鑑賞者に届くように展示するのが、イベント主催者の仕事なのではないかとアタシは思う。 オジャラよ、文句ばかり書くのなら、アンタも手伝いなよ。 嫌、遠いのでやめておく。 横浜は、3年に一度程度、ヨコトリを見にいくので十分だよ。 |
|
こちらは、ステージの上に座ったオノヨーコさんを、観客がハサミで切り刻むという作品の映像を写真撮影したもの。 オノヨーコさん、どう考えても還暦ぐらいと思うけど、ナイスバディ。 推定40年ぐらい前にこのパフォーマンスをした映像を見たことがある。 ガンバルねぇ。 日本人の肌というのは、世界的に見ても、本当にキレイだと思うことがある。 主食が米というのと、風呂という文化の結果なのかもなあ。 他の黄色人種の国の人と比較すると、日に当たらないように気をつけているからね。 それも影響していると思う。 どちらにしたって、あまりの美しさにウットリさせられた。 この作品そのものは、オノヨーコの服を、皆で切り刻むという、瞬間的な作品であるけれども、実は映像作品なのだと気づく。 そうして、何万人もの人が、この映像を見るのだと思うと、映像作品というのは、残さなければならないと思わされた。 |
|
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |