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2008.10.17.更新

ここのところ、ギャラリーでは留守番の作家さんが日替わりのため、アタシは、アトリエに詰めている。

薔薇や天使の絵を加筆し、今日は、例の絵を褐色の肌に塗り替えて眉毛を削ったりもする。

手を入れれば作品が良くなるという事ではない。

でもまあ。薄塗りで、ああ、あっという間にできちゃったのねという作品よりは、一般ウケするのかもなあ。

それから、アンドレアの絵を久しぶりに取り出して、もう一度白く塗って、アンドレアを描いたりもする。

アンドレア、元気かなあ。

彼女の名言といえば、

『アタシの庭師は何処にいるの?』

だけどなあ。

これは、若い庭師との恋愛映画を自分に当てはめて、新しい恋を探している彼女そのものであり、バリ島滞在の目的とは人それぞれだと思ったものだった。

彼女はいつも、金色に光る犬を連れて歩いていて、本当にその犬ときたら、美しかった。

犬も描かなくちゃ。

加筆したのは、この絵ではない。別なアンドレアである。

この絵はどうしたかなあ。

うーむ。

影付けを研究していた頃の作品と思う。

影は必要ないんだよね。

線で縁取るからね。

写真で見るとそんなに悪くないけどね、実物は、ピンと来ないんだよね。

この絵もかわいかったけどなあ。

なんか紛失しちゃったんだよね。

久しぶりに自分の絵を見ると、余りにヘタクソでアタマに来て、全部違う絵にしちゃうんだよね。笑。

まあ、その方が、自分のためだと思う。

画力は上がってきていると思うけど、それでも、まだ、良い絵と悪い絵に分かれてしまい、その差はなかなか詰まらない。

悪い絵もいい絵に昇華できるようにならないと儲からない。

この前、銀座の有名画廊で見た梅原龍三郎の白い薔薇の絵のことを思い出す。

一体、この薔薇を彼は、何枚描いたんだろうという早さ。

絵を見れば、描かれたスピードが解る。

それでも、白い薔薇というのは、アタシが作っている絵の中で最も難しく、ごまかしが利かない絵である。

うまく描けないのは、白い薔薇の持つ精神性というやつが、まだ、自分の中で発展途上という理由からだと思う。

そういえば、この前、鳥居礼さんという、日本画家のギャラリーを訪ねた。

それは、偶然に、ぎゃらりーせいほうに行く途中、寄ったギャラリーで、『ギャラリーREI』という名前。

シロタやギャラリーせいほうと同じ筋で、もう少し銀座寄りの、ビルの7階アタリにあった。

日本画の小さなギャラリーで、鳥居さんの作品ばかり展示されていた。

よくよくお話を伺うと、自分のギャラリーなのだそうだ。

それから、お伊勢様のパンフレット(神社から勝手に届いたらしい)を渡されたり、ポストカードを頂いたりもした。

油絵の額に入れられた日本画もあり、珍しいなと思った。

作風も、家の中から柱のような光が飛び出ている作品が、日本画的でないよなと思ったり。

そうして、鳥居さんとは、大和魂について、シミジミ話したり、アタシの『コーンの時代』のポストカードを見ながら、『皆様に、日本に来ていただいてるんです。』とか、ピカソが描いた、あの絵のホントウの意味(人種的な話)など、おおいに楽しい時間を過ごさせていただきました。

アタシも、自分のギャラリーの話をしたりして、作家が、それぞれ自分のギャラリーを持ったりすると、本来の画廊さんは、益々大変になるよなあと思ったり。

嫌まあ、作家さんが、自分のギャラリーを持ち、自分で販売するというのは、例を見たことが無いわけではない。

地方都市などは、メインストリートに、小さなアトリエ兼ギャラリーを開き、土産物みたいな値段で作品を販売しているお店を見たこともある。

別に、芸術品になどなる必要がない。

絵の原価というのは、もともとが安いので、販売できれば、ボロ儲けという感。

お客様が買える値段で販売するというのは、商道的には間違っていないと思う。

そもそも、自分の作品が芸術だなどと、勘違いしてはいけない。

芸術作品というのは、自称ではないからである。

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