◆◆◆ 1236 ★ リヒテンシュタイン/ユージン・スミスの写真 ◆◆◆

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2008.10.15.更新

テレビ番組を見る。

リヒテンシュタイン。

コミックマンガを巨大油彩にし、ドットを書き入れた人である。

POPアートなどと言われているジャンルの人である。

日本ではウォーホールの方が有名だと思うけど。

しかも、アメコミのパクリっポイという印象しかない。

でもまあ、6億円で現代美術館が買ったという番組の作りだったからね。

6億あったら、もう少しちゃんとした(集客できる)作品が買えたんじゃないかと思うけど。

学芸員というのも、ある種のコレクターみたいなところがあって、自分の研究を邁進するために、作品を美術館が購入するみたいな流れがないわけではない。

まあいい。

買ってしまった品に対し、何かを言うのはムダな時間というものである。

学芸員が、収集家程、画廊を歩いて売り絵を見ているとは限らない。

だから、正しい決断ができないってことも大いにあると思う。

学芸員の人が、ニセ絵を掴まされたという話も聞かないわけではない。

別に、誰が悪かったのかという話しではない。

美術館のため、ひいては自分の研究のため、近隣住民のために、一生懸命やった結果、ニセをつかまされたというだけである。

それが、たまたま税金だったという話であり、そんな話は、ありとあらゆるアートシーンで起こっている。

それほど、ニセに溢れたマーケットというのも珍しいよね。盗品とかね。

日本のアートマーケットというのは、本当に知名度だよなあとおもわないわけにはゆかない。

横山大観だというだけで、行列だもんね。

いい絵もあるけど、サラリとした『へぇこれが』という絵だって沢山あるのにね。

欲しいんだから仕方が無い。

彼の作品は、日本の象徴なのだそうだ。

『へぇ』

という感想。

作品による。というのが、個人的感想。

それでも、日本の場合、最も優れた扱いに順ずるような欲しがり方になる。

それは、売る側(画廊)がその作家をそこまで育てたということに他ならない。

今日は、銀座のギャラリーを流す。

安井曽太郎.のしょぼい水彩画が売られていた。

値段はついてなかったけどね。

きっと、高値で売れるんだろうね。

いやあ、あの絵はひどかったけどね。

絵の良し悪しなど、誰も見てはいないのだ。

見ているのは名前と値段。

滅多に市場には出て来ない有名作家の絵を持っているということがステータスなのだ。

だから、日本のアート業界は、いつまでたっても、ニセが蔓延し、被害がなくならない。

それは、買うほうの欲しがり方が、有名作家に限定されているからなのだと思う。

三岸好太郎の作品も売られていた。

アタシは、ここにはきっとあると思っていた。

梅原龍三郎も、中川一政もあった。

中川センセイの絵はヨカッタけどね。

嫌まあ、そういう作品が扱えるというのは、日本では一流の画廊の部類に入る。

いい絵も悪い絵も混じっているが、有名作家さんの作品は、動き(売買実態)があるということになり、それは、画廊主としては、勉強にはなる。

そうして、テレビ番組で、画廊の審美眼の話が出ていたのを思い出した。

画廊の審美眼という観点でオッケーをつけられる画廊というのは、日本にはそんなには存在しない。

銀座で画廊業をしている先輩方は、アタシごときの場末の画廊主に言われたくはなかろうと思う。

でもまあ、蒐集の方が先だし、目は、益々肥えているし。笑。

最低でも鑑識眼がなければ、画廊などやるはずがない。何故なら、ニセをつかまされたら、それは、商業活動が終わるというのを意味しているからである。

審美眼かぁ。

まだ考えたことがなかったので、これから考えよう。

鑑識眼とは違う場所にある。

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