◆◆◆ 1232 ★ 元永 定正 (モトナガ サダマサ) センセイの映像 ◆◆◆
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2008.10.14.更新 常設展のムービーのコーナーで、元永 定正 (モトナガ サダマサ) さんの『アーチストトーク』なるものが開かれていた。 勉強不足で大変申し訳ないが、アタシは、この人の事を知らなかった。 キャンバスから絵の具を垂れ流す技法によって、巨大抽象画をあっという間に完成させる。 なんでも、絵の具をたらして、人為的な創作が加わらないように、飲みに行っちゃうのだそうだ。 絵の具の粒子により、重さが異なるため、自然にグラディエーションができるらしい。 アタシは、この人のトークに引き込まれて、結局最後まで見てしまう。 特に感激したのが、ビニールのフロシキに水(絵の具などで着色)を入れて、ぶら下げた作品。 おおっ。 という空間装飾。(この作品でベネツィアビエンナーレに招待を受けている) しかも、創作費が激安。 元永『あのころはお金が無かった。水はタダやと思ってな。金がなくても、何かせにゃらならんと思えば、何かできるもんや』 という一言に大いに励まされる。 金が無くても作り続けるという事が大切だ。 |
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元永先生は、こうも言う。 「『こんなのアートじゃない』と言われるぐらいの作品でなければ、新しくも何とも無い。当時は、(私の作品は)新しすぎたのが、今になって、受け入れられるようになってきた。 新しいことをしようと思ったら、『こんなのアートじゃない』といわれるぐらいのもんを作らなきゃあかん」 確か具体というグループに所属され、その方たちは皆さん楽しく作られていたみたい。今あるのなら、入りたい。 おおっ。オシオッサさんにメールしなくちゃ。 というように、現代アートの真髄をご存知で創作をされてきたという作品の軌跡。 見た者を『よく解らない』という気持ちにさせる作品など、誰にでも作れるものではない。 それこそが、新しい表現と作家との格闘ということになる。(見る人の話は、レベルが40年も50年も、日本の場合、100年ぐらい遅れているため、ここでは割愛) でも、彼が有名になったのは、実は、絵本である。 絵本でその造形の素晴らしさが世に広がったということになる。 しかも、どこぞの造形大学の教授もされているみたい。 絵だけでは食べられないってことなのかしら。 どちら(創作も、本も、教授)もやれってことみたい。 |
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アタシの作品も、イラストの作品なんかを並べると、立体の結果の方が圧倒的に面白いと思えてくる。 手が粘土に馴染んでくるまで、小壷や、猫なんかを作り、その後は、土偶のような小さい作品を作り進む。 ときどき、女性のオブジェもつくるが、どれも作る手順が未熟なので、ひび割れてきてガッカリしたりもする。 本音のところ、ひび割れのまま焼きたい。 重箱に詰めてやるぜ。 というように、表現というのは、自由なのである。 元永センセイのトークのビデオは、本当に楽しい時間だった。 アタシもやろうかなあ。アーティストトーク。 ギャラリーで。笑。 誰も来ないこと必至。 ビデオ機器はあるからな。DVDにしてアマゾンで売るかな。 そういえば、昔、プロモーションビデオというのを作ったよなあ。 懐かしい。 アートのアの字も出て来ないプロモーションビデオだけどな。今は無き愛猫と、バリの家の庭が写っている。 貴重映像かもなあ。 |
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右のイラストは、UチューブにビデオをUPするというイメージ。 猫が魚を加えた映像を、UにUPしているところ。 猫は縞に限る。 元永センセイっ。アタシも、ビニールに色の水を入れて、吊り下げてみます。 というように、安易な創作活動も取り入れる。 ウチのギャラリーに来る人は、アタシの現代アートにもすっかり慣れてきている。 たった一年で、現代アートが全く解らない人であっても、こんなに現代アートを楽しめるようになるのだから、ギャラリーになってヨカッタのだと思うことにする。 個人的には、オノヨーコの、ハシゴを登って、虫眼鏡を覗き込むと、何事かが書いてあるというのをパクりたい。 みんな、そういう体験をしたいに決まっている。 |
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