◆◆◆ 1230 ★ ドローイング展 ◆◆◆

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2008.10.14.更新

とある方からドローイング展のチケットを頂いたので、久しぶりに近代美術館へ。いつもお心遣いありがとうございます。

行くのは最終日になってしまった。

おおっ。結構な混み具合。

ドローイングの展覧会というのは、ある意味『数』で勝負である。

一点一点が軽やかだからね。

ある程度の数がないと、見た気にならないというのが一つ。

作家さんによっては、作品を大量に作れる人というのがいる。

それはアタシもそうなんだけど、チョロチョロとした作品を大量に持っている人に当たれば、借りるのはカンタンなのである。

学芸員の人が、そういう人をどうやってピックアップしているのかは解らない。

外国から何人もの方を招いていた感じだからね、地元では有名な人なのかもしれない。

そうしないと、見つけようがないもんなあ。

奈良美智さんのドローイングは可愛かったよなあ。

最近のは、特に完成度がアップしてきている。

鑑賞に堪えられるという評価が正しい。

昔のは、ゴミみたいな作品も並んでいた。

汚くて、雑な感じがぬぐえない。

嫌まあ、それでも世に出たんだから、評価すべき点を見出した人がいたってことになる。

誰にどうやって見つけてもらうのか。

そういう意味では、公募というのは、ある一つの、デビューのきっかけにはなる。

それは、公募にもよる。

二科や日展みたいに、何万点も集まる画壇では、デビューしようがない。

会員になるのに20年というのは、サラリーマンの年功序列みたい。

絵には、年功序列は必要ないと、個人的には考えている。

まあ、作り続けていれば、完成度は向上するはずなので、そういう、熟練度が向上という部分は、ある意味、考慮したとしたってだよ。

もう一つのメダマ展示が、ドローイングのアニメーション。

一つの絵を、消しては線を移動させながら作ったアニメ。

前の線を薄く残し、どんどんと動いてゆく絵は新しいと思った。

たとえば、アタシがそれを作っても、それは、二番煎じとなり、パクリと言われてしまう。

それでも、アニメというのはいいなあと思う。

右の絵だって、少し動いたら、きっとカワイイはずなのだ。

そうして、どうしてアタシの絵は、美術館には飾られず、これらの人の絵は、美術館に展示されているのかを考えながら作品を見る。

作品というのは、作ればいいということではない。

企画展で展覧会をやっている、プロのセンセイ方だって、 絵だけで生活できているのかという、実の所疑問がないわけではない。

美術館などで展示されると、企画展で、実物のドローイングを扱う画廊が出てきて、一時的には、売れることになると思う。

それは、作品にもよる。

見た感じ、ああ、この人の絵は売れるんだろうとか、扱いが始まるという人と、こちらの絵は、画廊もつかず、きっと売れないんだろう。

みたいな、分かれ道みたいなものもある。

それぐらい、買う側というのは冷静だ。

奈良さんの小屋の回りに、若い方が集まり、部屋の中をいつまでも覗き込んではニコニコしている姿を眺めて、ああ、コレが芸術というものだと思わされた。

それだけでも、行った価値はある。

心が癒され、安らかな気持ちになり、あちらこちらに置かれている、彼の作品や、レトロなオモチャなんかに引き込まれている。

素描を並べるだけの展示よりずっと楽しくて、そのスケールや、新しさ、柔らかさを堪能。

フジタも、小さい家を作り、家具のミニュチュアなんかを作っていた話を思い出した。

そうして、マジックでノートの切れ端に描かれた、ゴミみたいな奈良さんの絵が7万円で売られていたことを思い出し、買わなくてヨカッタとも思うのだ。

どうせ買うなら、家ごと買うぜ。

おじゃら画廊

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