◆◆◆ 1226 ★ 松本俊介の絵を見る ◆◆◆
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2008.10.9.更新 松本センセイの作品は、よくよく考えれば、超有名画廊さんから頂いた、素描の図録しか見たことが無い。 あとは、近代美術館の常設で、1-2点見たことがあるだけだ。 早死にだから、絵も少ないのかもな。 個人所蔵になってしまうと、人目に触れることはなくなるし。 どちらかといえば筋の絵だからな。 アタシは、二冊あった図録(確か、満寿夫の陶芸の図録)と、どちらかを選べるというその画廊の申し出にホクホクとし、 『絵の値段が高い方を頂きます』キッパリというムード。 子供の絵をそのままカンバスに乗せていたという創作風景には?? ではあるが、画家というのは結果が全て。 13歳で聴覚を失い、36歳で急逝。 始めの子は一日で他界、次男とのコミニュケーションは幼い頃は絵であったというストーリーにはほろりとする。 そういう、愛着のある子供の絵を、自分の絵と合体させて、記念的作品を作るということは、おおいにありえると思う。 唯一のコミニュケーション手段であり、絵で会話ができるということが人生の喜びだという幸せに満ちた絵であった。 油彩にして残された作品が、ヨイか悪いかという意味では、いつかは欲しい。 オジャラよ、素描1枚400万円とかだよ。 たはは。一生ムリ。 こんど、パクリ品を作ろう。 という状態。パクリもムリという域だということには間違いが無い。 |
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松本俊介の作品は、何層にも重ねられた緻密な油彩の上に、ツヤツヤ絵の具を何度もグレージングしたテレビの作品は、いつか、実物を見てみたい。 あの番組で取り上げられたのだから、近々、都内の美術館で回顧展でも開かれるのだろう。 グレージングというのは、透明な絵の具を更に薄くツヤツヤ絵の具で溶いて、乾燥した油彩作品の上に塗り重ねてゆく技法。 乾いてはまた薄い絵の具を塗るというのを繰り返す。 ああ、これが油絵というものだよ。 という存在感。 アタシも、グレージングもしようかなあ。 表面が凸凹だからね。 悩むところだよね。 売れ残ったやつは、加筆してグレージングすることにしよう。 みたいな。笑。 技法だけ真似たからと言ったって、絵が良くなるわけではない。人間の根本が良くならなければ、絵など良くなるはずがない。 そうして、人間の根本など、そんなに良くはならないのだと思ったりもする。 |
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2003年にバリ島から帰国してから、もう400枚近くの油彩を描いているけど、ほとんどが駄作だからなあ。 イイのは勝手に手を離れてしまうので(驚くべきことに欲しいという人が現れる)、手元にあるのは、いつも売れ残り作品ということになり、アトリエには、売れ残りが干されているということになる。 右の作品は、1回目。 1回目で、ほとんどの輪郭は正確に作られて、この後大きく形を変えることはない。 色が大きく変わるということはある。 油彩というのは、塗れば塗るほど作品に奥行きが出て、アタシのように、影の無い絵であっても、アクリルの作品とは存在感が違うのだ。 もっと絵が描きたいよなあ。 |
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この絵は、注文で描いた作品。
似てないんだよね。 もう少し、肌の色を黒くするべきなんだと思う。 随分と塗り重ねた作品で、なんだか作品がつまらないと思ったりもする。 犬は良く描けた。 犬が良く描けてもね、肖像画が本人に似ていないというのは、引き取り拒否に合うに違いない。汗。 まあいいかぁ。 一応、『出来上がらないということや、似ていないときには、引き取らなくてもいいです』 という申し出はしておいたし。頼まれたのも随分と前だし。 眉毛が濃すぎたんだよなあ。 削って作り直すしかない。 そうして、写真を見ながら描いた絵というのは、何てつまらないんだろうと思いながら、写真のせいにしている自分に気づく。 別に、写真を見ながら描いたからといって、写真どおりに描く必要はない。 (正確には、この写真に犬はいなかったのを勝手にプラスしたんだけどさ) もう少し面白く描けたんじゃないかなと思うと、この絵を描き始めたときには、(推定2年以上前)まだ、そんなこと考えたこともなかったのだということを思い出した。 |
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