◆◆◆ 1223 ★ 新作雛人形-2 ◆◆◆

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2008.10.6.更新

造形というものについて考えさせられる。

オジャラよ、もう少し心を配れなかったのかよ?

という出来具合。

細やかに作って、洗練されたからといって、それが傑作ということでもない。

いつのまにかできている、不気味な作品達は、自分にとっても、謎なのだ。

どうしても、この顔になってしまうということを考えれば、必然なのだと思えなくも無い。

誰かの真似でないことが救い。笑。

満寿夫の作品の事を思い出す。

何故、あのような形になるのか、陶芸を始めるまで解らなかった。

少し固まってしまった粘土と、柔らかい粘土を混ぜたり、無理やり、そういった粘土で作品を作ろうとすると、勝手に、ああいう形になってしまう。

自然に任せた造形といえなくもない。

自分でも土と接するようになり、そういうことが解るようになってきた。

土のなりたい形にまとめて、ちょっと手を加える。

そういう作品もいいなと。

もっと、人間らしく、もしくは、人形らしく作ることもできるのだが、それが、たとえば、塑像作家の天才のように作れるわけでもないのだ。

それにしたって、もうちょっとカワイク作れるはずなんだよね。

もう飽きてきて、この辺で辞めちゃったってところかなあ。誰か来て、中断されたのかもしれない。

陶芸の日に来た人には、あまり愛想がよくないからね。それが理由で、この造形になったという事ではないと思う。

ここで、アタシが手を止める事にしたということだ。

それで良い。

こちらの猫の作品は、それなりに猫に見えるけど、だから何だという話。

もっと、猫に見えるけど、アタシの作品だという、そういう作品を作りたい。

作家なのだから、そうするべきなのである。

そうして、この頃は、まだ造形がヘタくそだったけど、なんとなく、勢いはあったよなと思ったり。

イラストなんかもそうだけど、絵が上手くなってくると、完成度はアップしてくるんだけど、引きが弱くなるんだよね。

創作というのは、そういった、技術と、画力との戦いってことなんだと思う。

ありきたりでなければ、上手いほうがいいに決まっている。

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