◆◆◆ 1212 ★ 岡本太郎賞応募の準備-3 ◆◆◆

 

2008.9.14.更新

岡本太郎賞の公募作品受付は、明日の消印まで。

オジャラよ、間に合うのか?

去年までの作品8点と、今年の作品が数点。

去年は、現代系の作品しかプレゼンしなかったが、今年は、油彩、陶芸作品、立体などの写真も追加することする。

審査員が何を見るのかと言えば、

『この作家が、賞を取った後、美術館での展示に耐えられるだけの作品の質と作品の点数があるのかどうか』

という所を見る。

副賞として、その作家をいくら露出してあげようとしたところで、作家にそれだけの作品を作る力がなければ、世に出ることは無い。

テレビでは、一つの作品に5年も6年もかけたとか、この作品には20年もかかっている。

などという作家の話も出てきたりもするが、マーケットでは、そんなに時間のかかった作品だからといって、評価が高いということではない。

結果が同じなのであれば、短い時間で作れるほうが、より収益を上げられるという構図は、他の仕事と同じなのだ。

画廊が作家を扱うときには、作品の良さも当然だが、数や、そのクオリティー、人間性もに見ているのである。

人間性かぁ。

人間性というのは、作品に出てくると思う。

嫌まあ、別に、出ても出なくてもいい。

結果が良ければ、どんな人間が作っても構わない。

人の心を動かす作品が作れるというのは、ある意味、性格が極端で、物凄い嫌な人ってこともあるかもしれない。

人の良さだけでは、新しいモノを創作し続けることはできないということになる。

少なくとも、感性のズレや常識との対比で人を驚かせようなどという魂胆の作品を作る人が、イイはずのワケがない。

掃除に来た母は、布で隠されていたアタシの現代系の新作を見て、

『一つも売れそうにないわね。もう、ギャラリーなど辞めたらどうかしら?』

という評価。

寺田さんが巻いてくれた、椅子とかテーブルの包帯は取ろうとするし。

ママ『この包帯は、取るからね。一体何なのよ????』

オジャラ『これは現代アートの作品で、この椅子に座ったり、包帯のテーブルでお茶を楽しんだりするのが作品だからさ、これでいいのよ。このままにしておいてよ。』

と何度も説得して、何とか、そのままの形で展示されることになった。

はぁ。前途多難。

アタシが一番乗り越えなければならない壁は、母の感性かもしれない。

現代アートを解った振りをして、全く筋の違う話を並べている人に比べたら、よほど真だと思う。

解らないものは、解らないでよろしい。

解っていないのに、解るといえばウソをついていることになるし、解った振りをすれば、つじつまが合わなくなる。

2008.9.15.更新

はぁ。

やっと、岡本太郎賞のファイルや応募用紙の記入が完成。

今日の消印。

祭日なので、きっと、郵便の集荷は来ないだろうから、宅配便で送ることにする。

オジャラよ、あと3日早く作れよ。

嫌まあ、間に合うかどうかというギリギリのタイミングだった。

それでも、作品の整理をするという時間は、有意義である。

ああ、この一年で、こんなに新作を作っていたという事実に驚く。

母の言い分では、全く売れる気がしないという、その作品群である。

しかも、立体になってから、邪魔なんだよね。

まあ仕方が無い。

それから、コンペ情報のWEBサイトなんかを見る。

なるほどぉ。

年額9800円で、WEBスペースを借りた人だけがエントリーできる公募展があるのかぁ。

 

【タグボートアワード】

アーティストから、金も取りながら、優れた作品を集められる、なかなか気の聞いたコンペだと思う。

それなりに、有名どころのギャラリーなんかの人も見てくれるっぽいムード。

ゲーサイの次のポジションなのかもね。

販売を前提にした作品を作らせるというのも、現実的だと思う。

作品が、現金化できなければ、どんなに良くたって、ギャラリーは儲からないもんね。

そうやって、多少の金は持っていて、パソコンもできて、作品も作れるっていう筋を集めて、賞を出すというのは、画期的だと思う。

アタシも応募しようかなあ。

たはは。これ以上のスペースは要らないって気もするけど。まあ、目の利く人達に、作品を見てもらうチャンスを作るというのは大事だよなあ。

千住では、誰も来ないもんなあ。

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