◆◆◆ 1185 ★ 片岡球子の番組-2 ◆◆◆

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2008.7.25.更新

二週連続で、球子先生の番組の話になっていなかったので、再度こちらに。

男性を6ヶ月に一枚、かすかな手がかりをもとに描き出す。

あの絵の大きさというのがスゴイよなあ。

絵の上に座り、はいつくばって描くような姿勢。

頑張ったよなあ。

あんなに大きな絵をあんなに沢山描いたというのがスゴイ。

でもまあ、場所のことを考えれば、今の状態では物理的にムリだもんなあ。

それでも、何枚か、描きたい大作というのが固まりつつある。

そういう、構想を持った作品は、大作に仕上げたいよなあ。

あの絵を見るにつけ、女流画家という域でもないけどな。本格的に絵に没頭できたのは、定年後というから、それも驚きである。

彼女は、200歳まで生きると話されていたそうだが、絵は、きっと、この後、何百年も残るのだ。

それは、彼女が生きているのと同じことのように思う。

今日は、球子先生が、あの、ビビットな富士の上にメガネ顔で座っている夢を見た。

そういう絵も描きたいなあ。

大面絵みたいに、デフォルメしたお顔を赤く(お日様のように)描いて、富士山を着せるのである。

フリーダのことを考えるより、ずっと、彼女の絵のことを考える方が元気になる。

絵の持つエネルギーにも、正・負があるということになる。

イラストレーターのコンペの作品の中にも、ある種、負っぽい印象を与える絵も混じっている。

イラストのコンペだから、こういう趣向はどうなのかなと思いながら、新しい方は、こういう絵で、自己表現をしたいのかと思ったりもする。

表現の方法というのは、どこまでも自由なのだ。誰かに何かを言われたりしたくはない。

ということは、自分で、イロイロなことに、気がつく能力も必要だということになる。

昨日は、銅版画教室のナオちゃんが、作品を搬出に来る。そうして、アタシの昔の銅版画を収録したアルバムを二人で眺める。

技法の話とか、いつごろの作品だとか、こういう問題がおきて、もう、この作風は作らなくなったとか、そういう話をである。

この作品は、アタシらしい作品だったよなあ。

ビミョーに、世の中のことが良くわかっていないときに作った作品。

いい版画だった。

版はどこにいったのかなあ。

刷るのが難しくて、何枚も失敗したんだった。

DEEPEDGE-2は、この版画からスタートすることになっている。

版画の整理もしたいよなあ。

したいことばかり。

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